8月9日長崎原爆忌にこの映画を見た。意図的にそうした訳ではない。知らず引き寄せられたということか。

 原爆あるいは戦争に反対する、絶対正義とも言うべき思想は通奏低音のごとくこの映画の背景に流れている。しかし物語はむしろ、父の著作“THE POSTMAN OF NAGASAKI”に触発されて、その郵便配達夫であった故谷口稜曄(すみてる)さんと父ピーター・タウンゼントの交流をたどる娘の思いを描くものであった。

 ピーター・タウンゼントは第二次世界大戦時の英国空軍のエースパイロット。戦後英国王室の侍従武官を勤め、そのときマーガレット王女(エリザベス女王の妹)と恋仲となったが、離婚歴があることと16歳の年齢差があることから英国教会と議会に反対されて破局。映画「ローマの休日」はこれをモチーフにしたと伝えられる。その後タウンゼント氏はジャーナリストとして世界を巡る旅に出、戦争の犠牲になった子どもたちの取材を進めていた。その過程で長崎の原爆被害を奇蹟的に生きながらえた谷口稜曄さんと出会い、谷口さんが生涯をかけた反戦反核の運動を、世界に伝え続けてきた。「僕は戦争で人を殺してしまった。だから物書きとして伝えなければならないんだ」と。

 

 この映画はもちろん、谷口さんの「地球上に一発たりとも核兵器を残してはなりません」という言葉を伝えるものであることは疑いがない。父がたどった長崎の道を歩き、父の通訳を務めた男性を訪ね、そして谷口氏の遺族と語り、そのたびに父のメッセージを確認していく娘の姿。そこに市井の人の素朴な平和を希求する心を感じつつ、しかし、世界は必ずしもその方向に動いてはいないという現実の姿をつきつけられて、見る者は絶望と受け止めるのか、まだ希望を持ち続けるのか。

 

 現実世界のウクライナを思わずにいられない。明らかに非戦闘員、非軍事施設をターゲットにしたロシア軍の攻撃を、戦争犯罪として糾弾するのはたやすい。では、第二次大戦末期に連合軍がドイツ、日本に対して行った無差別爆撃は何だったと言うのだろうか。広島、長崎に投下された原子爆弾が数十万の無辜の民を殺戮したのは何であると?

 

(おまけ)

 この映画のベースになったピーター・タウンゼントの著作は上記の通り“THE POSTMAN OF NAGASAKI”である。一方映画の英文タイトルは“The Postman from Nagasaki”である。これは何か意図あってのことか、どうでもいいことかもしれないが気になった。あるいはこれは、この映画は長崎からのメッセージである、と強調したかったのかもしれない。