2022年3月2日

山本大貴 Dignity of Reaism(千葉県立美術館)

 いわゆるスーパーリアリズムの若手(といっても今年40歳)、山本大貴の千葉県立美術館で の個展を再度訪れた。日本の現代写実画家といえば、森本草介、野田弘志、生島弘、小尾修、小木曽慎、中山忠彦、五味文彦、池永康晟、上田薫といったあたりだろうか。いや、ごめんなさい、私が知らないだけですごい人はたくさんおられる。毛色のちょっと変わったところでは、空山基はもう大御所に近いかな。

 素人の怖いもの知らずで言わせてもらえば、最近の写実主義の人気は、行き過ぎた相対主義に対するアンチテーゼなのではないかと思っている。現代抽象画を見て感動する人がいるのだろうか。日本人画家オークション価格で市場最高値をつけた白髪一雄など、上下もわからない絵を眺めて愉しいんだろうか。

横浜美術館、今日の作品、白髪一雄。 | 倉倉のくらくら

 だからといって、写実絵画を見て「写真みたい」「写真かと思った」などという感想は、本末転倒ではないのか。つまり、それだけ現実を写し取っているものなら、写真で用は足りるということだ。

 下の山本大貴の絵、友人の娘さんによく似ている。写真そのものだ。でも、だったら「写真でよくね?」

image

 写真の登場によって写実絵画はいったんはその使命を終えた。しかしまたそれが見直されているのは、人間の描く絵に、写真には見ることのできない魂が吹き込まれているからに違いない。魂の行きつくところが抽象絵画なのであればそれもよいが、奇をてらい、衆目を浴び、それをもってコレクターの金をよびこむ商業主義に毒されているような気がしてならない。写実絵画とて同じことだ。ただ上手に描いただけでは人の感動を呼ぶことはない。美大を経た画家なら、この程度(失礼!)をこなす人は多かれ少なかれいるだろう。

 山本大貴をけなすつもりは毛頭ない。人気があるのもわかる、ような気がする。

たぶん写実だけではない、なにかを人が感じるのだろう。その何かを持っている、持っていないという説明は私には無理だ。

 

 これはFace Bookの美術愛好家グループの投稿である。Leng Jun(冷軍)の ”Hyperrealistic” 絵画。

「すごい!言葉がない!」

「ニットの質感がすごい!」

“Absolutely amazing!”

“C'est pas croyable”

絶賛の嵐である。で、これが写真だったとしたらどういう感想になるのだろう。