2022年3月1日

 

これは佳作ですね。イラン映画、あなどれないぞ。本国イランでは上映禁止になっているらしい。

 

 

 親族以外の男性を家に入れたというだけで、立ち退きを要求する家主。亡夫の遺産を相続することに難癖をつける義父。未亡人は麻薬中毒者と同じ扱いの不動産業者。すべての行動が公安に監視される裁判官。日本はなんと自由な国であるか改めて感じいったことである。

 思えばホメイニ師率いるイスラム革命が、世界的に歓喜と賞賛の声で迎えられたように記憶しているが、その後の国民一般の感情を尋ねてみたい気がする。なお、サヘル・ローズさんが家族と生き別れたのはこのイスラム革命ではなく、イラン・イラク戦争による混乱が原因である。

 

 死刑執行数で中国に次いで世界2位と言われるイラン。夫ババクが死刑を執行されて、残された妻である主人公ミナは7歳の聾唖の娘ビタを抱えて懸命に生きていく。1年が経過して当局に呼び出されて事務的に言い渡されたのは、夫が冤罪であったことだった。補償金がおりることを知った亡夫の父が、それをかすめ取ろうとして、ビタの親権を争う裁判を起こす。ミナは死刑判決をくだした担当判事アミニに対して、面会を要求したり、謝罪を求める新聞広告を出したりして夫の名誉挽回を図る努力をするが、大家からは退去を要求され、勤務する牛乳工場からは解雇を言い渡されるなど、苦闘の日が続く。それと前後してミナの前に現れたのは、亡夫の友人と称するレザという男だった。ババクから金を借りていたといって、それを返済したり、追立をくらったミナに対して破格の家賃で新居を提供したり、レザの援助はその背景がなぞである・・・というミステリ仕掛けの進展が、やがてクライマックスを迎える。

 

 イラン現代社会の抱える問題を取り上げることで、体制批判になっていることは間違いない。ミナを演じたマリヤム・モガッダムはこの映画の共同監督でもある。これだけ政府を批判する内容の映画を作ることには大きな勇気が必要だったに違いない。白い牛は「犠牲」の暗喩でもある。彼女がそのメタファーの裏にある現実の犠牲にならないことを祈る。