下記は3年前のFace Bookの投稿。まだ新型コロナが蔓延する前の話である。世の中すっかりさま変わり。まことに人の世は何が起こるかわからない。

 

2019年2月23日

本日の美術館めぐり

宮内庁三の丸尚蔵館(御製・御歌でたどる両陛下の30年)→出光美術館(染付 世界に花咲く青のうつわ)→中村屋サロン美術館(通常展示)

 

◇三の丸尚蔵館で、現代写実絵画の巨匠 野田弘志画伯の両陛下の肖像画の一般公開が始まったので行ってきた。高さ2メートルに及ぶ大画面で、絵の迫力もさることながら両陛下のお姿に自然に頭が垂れる心地がいたしました。

 

野田画伯による両陛下の肖像
展示は撮影不可、図録にも収録がなかったので、画像はネットより拝借

 

◇出光美術館では、中国の青花磁器が日本の染付に影響を与え、それがまたヨーロッパに伝播した過程がほぼ時系列的に展示されており、私のような素人にもわかりやすい展示だった。中国景徳鎮窯、ベトナム、韓国、日本の伊万里・鍋島、さらにイタリア(ドッチア窯)、オランダ(デルフト窯)、フランス(セーブル窯)ドイツ(マイセン窯)まで世界に広がった青い花。焼き物は不得意な私にも十分楽しめました。

 

◇中村屋サロンのメインは荻原守衛か中村彝か。中村彝は中村屋に支援を受けていた画家で、創業者の相馬愛蔵・黒光夫妻の親族ではありません。国立近代美術館所蔵の「エロシェンコ氏の肖像」(近代洋画では珍しい重文指定)の作者ということは知っていたが、その人生はつい最近新宿区立中村彝アトリエ記念館を訪れるまで知りませんでした。相馬夫妻の長女俊子をモデルにした絵をいくつか残しており、ヌードモデルも厭わなかった俊子に愛情を感じ、求婚するも結核を理由に相馬夫妻に反対され失意のうちに中村屋を離れます。その後俊子は、相馬夫妻が援助していたインド独立運動の闘士ラス・ビハリ・ボース(チャンドラ・ボースと同姓ですが血縁はないようです)と結婚しますが、1925年に26歳の若さで亡くなります。中村彝自身も結局病には勝てず、翌年後を追うように37歳で亡くなったのは、悲しいエピソードですね。エロシェンコ像は、友人の鶴田吾郎と同時に競作し、両作品とも帝展で入賞しています。

 

【鶴田吾郎「盲目のエロシェンコ」】

第二回帝展で初入選。

画像は絵はがきです。

 

中村 彝が鶴田吾郎と競作の形で同時に同じ場所で描いた「エロシェンコ氏の肖像」第二回帝展に鶴田とともに出品。写真は国立近代美術館で撮影したものです。。