もちろん盛り土という言葉自体が嫌いなのではない。「もりど」という読みが嫌いである。

 これ、普通に読めば「もりつち」でしょう。私の記憶が正しければ、この「もりど」という読み方が広まったのは、東京都中央卸売市場の築地市場が豊洲に移転するにあたり、豊洲の土壌汚染が問題になった時である。

 

 その後今年の7月に静岡県熱海市で発生した土石流の発生現場の杜撰な管理が問題になった際、この「盛り土」が盛んに言及され、「もりど」という読みが完全に定着した。

 

 国語辞典は「もりつち」で立項されている。広辞苑、大辞林、大辞泉、新辞林、学国、明鏡、新明解全て同じである。「もりど」が立項されているものはごく少数で、その説明も「もりつちに同じ」とあるに過ぎない。広辞苑の説明は「地面の上に、さらに土を盛って高くすること。また、その盛った土」で、他の辞書もおおむね同様。最後に同義語あるいは異訓として「もりど」をくわえるものもある。

 TVの報道番組等で、専門家にコメントを求めることが多い。熱海の土砂崩れでも盛んにその道の識者に見解を求めていた。「盛り土」は業界では「もりど」と読むらしい。私の兄は昔の建設省の外郭団体に勤めていたが、建設、土木業界でこれを「もりど」と言うことに何の抵抗もないと言っている。専門家用語が人口に膾炙するのはよくある話で、代表的な例に「口腔外科」がある。「腔」の字は、本来「こう」と読むはずで、中学だか高校の生物の教科書に出てくる「腔腸動物」を「くうちょうどうぶつ」と読んだら笑われるだろう。医学界ではこれを「くう」と読むことが多い。別につくりの部分の「空」に引っ張られたわけではなく(いや若干はそのせいもあるに違いない)、ちゃんと理由がある。そもそもは口孔と口腔を区別するために、口腔を「こうくう」と読んだことに始まるらしい。いや、でも一般ピープルは口孔なんていう言葉を知らんぞ。口腔を「こうこう」と言ったところで勘違いする対象がないような気がする。小型辞典には口孔

では立項されてもいない。鼻孔と鼻腔の区別をつけるのならまだわかる。でも鼻の穴をわざわざ鼻孔という人は、医者でなければかなりの変人に違いない。鼻腔をびこうと読んでなんの不都合もないと思う。

 小生昨年腹膜炎で緊急手術を受けた。手術後に執刀医から「かなり危険な状態だった」と聞かされ青くなったが、無事命拾いさせてもらった。その時の手術が腹腔鏡手術。これも本来はふっこうきょう手術のはずだが、今やふっくうきょうが主流であるようだ。

 大学時代にたしか行政法の講義だったはずなのだが、教授が「重畳的債務引受け」(これは普通は民法の概念だ)に言及したときに、「学者は一般的な読み方と異なる言い方をする傾向があり、これも“じゅうじょうてき”とは言わず“ちょうじょうてき”と読んでいます」と説明されたことを妙に鮮明に覚えている。若干話はそれるが、「重複」は今や「ちょうふく」と読むのが当たり前になっているが、私は小学生のとき、これを「じゅうふく」と教わった記憶がある。「重」という字を「ちょう」と読むのは、貴重、尊重、珍重、重宝など、価値の高いという意味の場合だと感覚的にとらえていた。重なるという意味の場合、つまり二重、三重、重連、重層などは「じゅう」と読む。いや、でも天皇が二度即位することを重祚(ちょうそ)というな。各種国語辞典は「じゅうそ」でも立項しているが、〈→ちょうそ〉という指示があるか、「ちょうそと同じ」と書いてあるかのどちらかで、「ちょうそ」がメインの読み方であることは明らかだ。

 いわゆる百姓読みと言われる例では、洗滌(せんでき→せんじょう)、消耗(しょうこう→しょうもう)、漏洩(ろうせつ→ろうえい)が代表的だが、重複(ちょうふく→じゅうふく)はまた「ちょうふく」へ戻ったということなのだろうか。