(*)注意 ネタバレあり・・・ってこのblog読んでいる人は全国に数名だからどうでもいい。

 

 先週、映画「CUBE 一度入ったら最後」を見た。1997年に公開されたカナダ映画“CUBE”のリメイクだそうで、私はこのオリジナルの方は知らなかったし、原作も読んでいない。そのうえで、面白かったと一応言える映画であるとまず最初に言っておく。ただし、登場人物のキャラクター設定がきわめて類型的であった。それぞれもちろん役名はあるが、このストーリーでは役名はほとんど意味がないので、俳優の名前でいく。斎藤工は無口な整備士で、リーダーシップらしきものはあるが、実際にこんなやつおらんやろ、というレベルのコミュ障である。予想どおり物語の途中で、主人公(菅田将暉)たちを助けて犠牲になる。岡田将生は気弱なフリーター。サイコパス的演技はそこそこ成功していて、芸域を広げる意図があったのかもしれないが、あのカッコいいイケメンの岡田将生が、おどおどしたいじめられっ子キャラを演じるのは違和感満載だった。吉田鋼太郎はいかにも性格の悪い会社役員。演技であっても本当に吉田が憎たらしいと思わせるのはさすがで、岡田の手にかかる場面では、やっちまえなんて岡田を応援したくなったほどだ。主人公の菅田将暉はエンジニアで数学が得意。それはいいが、キューブボックスのトラップの有無の判定や、キューブ全体における位置を示す座標に関わる仮説だの、部屋の移動の法則とか、やたら数学的なアプローチをとる必然性というか、その合理性ってどこからくるのか。その中で、杏の立ち位置が最初わからなかった。「あなたたち、何もの?」と言って登場する本人が一番怪しい。ろくにセリフもないし、そもそも命が危険にさらされているわりに、なんの感情の起伏もないし、いったいこの人物はなんのために登場しているのか、杏が演じる必要性があるのか・・と思っていたら、案の定だった。

結局仮想現実の中でRPGが展開されているという結末は、リング、らせん、ループと引っ張ったあげく、エンディングでほとんど夢オチをやってその後ろくな作品を書いていない鈴木光司を思い起こさせた。

 菅田将暉とともに数学的アプローチで活躍した少年だけがキューブの外に出ることに成功する。これは陳腐な結末でもうちょっと意外性を持たせてほしかった。菅田将暉も実は生きていて、“to be continued”てテロップが出たような気がするが、続編作る気か?