2021年11月7日

 

 

 11月4日に、プロ野球日本ハムファイターズの新監督に就任した新庄剛志監督の記者会見が行われた。その中で、元日本ハムの投手として活躍した岩本勉氏の質問が気になった。いや、岩本氏の質問が気になったのではなく、それを報道するテレビニュースの字幕が気になったのである。岩本氏の最初の質問は、ファイターズがここ数年厳しい成績を続ける中で新監督としての方策を問うものであった。

「Big Boss新庄流のサプライズ再建方法などがもしありましたら、今ここでしゃべれる範囲でよろしいですのでご提供いただけないでしょうか」

 どこのテレビ局かは忘れたが、私が見ていた番組では字幕が以下のように出た。

「・・今ここでしゃべられる範囲で・・」

 つまり「しゃべれる」をいわゆる「ラ抜きことば」と判断して、ラを補って「しゃべられる」としたわけだ。これは典型的な過剰修正というやつだね。丁寧語に慣れない司会者が、「では祝電を多数頂戴しておりますので、ここで読まさせていただきます」などの「サ入れことば」がその代表だ。

 「しゃべれる」は、可能の助動詞「られる」のラが抜けたわけではなく、下一段活用の可能動詞である。「読める」「走れる」「書ける」などと同じである。「見れる」「出れる」とは事情が違う。当今のテレビでは、一般人がインタビューに答える場面等で「見れる」「出れる」と発言していても、テロップではそれを修正して「見られる」「出られる」と表示するのが通常である。このBig Boss会見でのテロップでは、それと同様に反応したわけで、文法的に間違いとまで言わないが、「しゃべることができる」という意味で「しゃべられる」と口に出す人はいないだろう。同様に、今や可能の意味で「見られる」「出られる」という人も圧倒的に少数派に違いない。

 ただ、ケンタッキーフライドチキンのコマーシャル映像で、女優の高畑充希が「(新商品のツイスターを手にしながら)片手で食べれちゃうし・・」と言っているのを見て驚いた。訂正の字幕が出ないじゃないか。

 実際には「食べれる」という人が多いのはわかる。しかし、こういう場合は文法的に正しい言い方をするという思いこみがあった。

 もはや映画やテレビドラマのせりふでも、「見れる」「出れる」「食べれる」は主流のような気がする。

 助動詞の「れる」「られる」は可能のほかに尊敬、受け身でも使われる。今のところラ抜きは可能の場合にしか出現しないから、これは新しい可能動詞が成立していると考える時期にきているのだろう。ラ抜きことばに目くじらたてるのは、昭和の化石と言われてもしょうがないんだろうな。