2021年10月10日

 

昨日の東京徘徊は、①東京都美術館“Walls &Bridges” ②東京藝術大学陳列館“文保日展” ③朝倉彫塑館“朝倉先生いのちの講義” ④埼玉県立近代美術館“美男におわす”の4展。13千歩だからそれほどハードな日程ではなかった。これがもし今日だったら、蕨変電所の火災によるJRの停電・混乱で、帰宅がいつになったかわからない。あるいは一昨日だったら、前夜の地震の影響による鉄道運休、遅延で帰宅困難であったに違いない。正に僥倖であったぞ。

 さて、紹介するのは①のうち、東勝吉という無名のアマチュア画家である。

 こうやってメジャーな美術館において作品が展示され、地元にギャラリーも設立された作家を「無名のアマチュア」と言っては失礼なのかもしれない。実際、私自身その作品に胸打たれるものがあった。あるいは画業をもっと早くスタートしていたら、画家として名を成した可能性はある。

 テクニックは何もない。小学生が描いた、といってコンクールに持ち込めば、県知事賞か、ひょっとしたら文科大臣賞をとれるかもしれない。というとまたまた失礼な話なのだろう。

 風景の切り取り、色の配置、フォルムの捉え方は天才的だと感じた。由布山を背景に柿の木(たぶん)を描く。ひとつだけ実を大きく描き、絵の真ん中には枯れ葉を配置する。全く独学の・・83歳で絵を描き始めた老人の絵の構図とはとても思えない。

 

 なぜ心打たれるのだろう。やはりそれは、作家の人生に想いを致すからに違いない。だって、この展覧会の趣旨からして「本展でご紹介するのは、表現への飽くなき情熱によって、自らを取り巻く障壁を、展望を可能にする橋へと変え得たつくり手たちです」なんだから。

 芸術において、作家と作品は分けて考えるべきだということは、頭では理解している。けれど、どうしても作品にその作家の人生を重ね合わせてしまう。ゴッホが人気があるのも、田中一村が注目されてきたのも、その壮絶な生き方に心揺さぶられるからだろう。

 

東勝吉は、長年木こりを生業とした後、78歳のとき特別養護老人ホーム温水園に入園した。ホームの園長から水彩絵具を贈られたことを契機に、由布院などの風景を描き始めた。このとき83歳、要介護2の状況であったが、周囲が驚くほどの熱意と集中力を示したそうだ。十代で母親を亡くし、早くから木こりとして働いていた彼に、美術をたしなむ習慣はなかったであろうに、あまりの没入ぶりに、ホームの職員らが好きな画家の名を問うても、「自分は絵を習ったことがないので、誰も知りません」と答えるのが常だったという。

 

 ゆったりとした時間の流れる風景と、ときに大胆な、ときに細密な描写が絵の中で共存している。個人的には山下清よりずっとこちらの方がいい。

 

最晩年に描かれた自画像は、おだやかで満ち足りた表情をしている。このとき勝吉は98歳。翌年の3月、温水園にて永眠、99歳だった。

こんな晩年を迎えたいものだ・・って、邪心がありすぎて無理だろうな。