2021年8月21日 献灯使(多和田葉子) 講談社 2014年10月

 

 多和田葉子といえば、2018年にこの作品によって全米図書賞を受賞(翻訳文学部門)、ノーベル文学賞候補ともいわれる作家である。だからこの本を読んでみたわけではなく、いわばジャケ買い、この表紙の絵だけが理由で手に取った。この表紙および装画は堀江栞、今年5月に神楽坂の画廊で出会った絵に心惹かれ、思わず買ってしまったという作家の作品である。この本の表紙、装画全てその個展の際に鑑賞した。なんとも見る者を惹きつけて離さない絵だが、この本の主題との関係性は不明である。たぶんないと思う。

 

 小説の方は・・はぁ、これはなんだろう、近未来のディストピアを描く寓意小説とでも言えばいいのか、SFでもないし、ファンタジーでもないし、読んでいて全くわくわくしない退屈な小説だった。

 Amazonの紹介文はこうだ。「大災厄に見舞われ、外来語も自動車もインターネットもなくなり鎖国状態の日本。老人は百歳を過ぎても健康だが子どもは学校に通う体力もない。義郎は身体が弱い曾孫の無名が心配でならない。無名は「献灯使」として日本から旅立つ運命に。大きな反響を呼んだ表題作など、震災後文学の頂点とも言える全5編を収録。」

 文明社会に対するブラックユーモア的批判と評する読者評があったが、褒めすぎだろう。長々と意味のわからない文章が続いてイライラする、という別の読者に共感する。5編のうち「韋駄天どこまでも」は、漢字の部首を分解した駄洒落みたいな文章が続き、これ本人は、どうだ発想がいけてるだろう、と得意気に書いているんだろうか、出来の悪いコントを読まされている気持ちがぬぐえなかった。「動物たちのバベル」は、ジョージ・オーウェルの「動物農場」を気取っているのか、その割に皮相的で斬新さもなく、劣化コピーというのも失礼という印象である。

 群像新人文学賞、芥川賞に始まり、泉鏡花文学賞、伊藤整文学賞、谷崎潤一郎賞、野間文芸賞等々純文学に与えられる日本国内の主だった賞を総なめにし、あとはノーベル文学賞を村上春樹(いや、案外吉本ばななが先か)とどっちが先に獲るかといった態である。1982年からドイツ在住で、日本語、ドイツ語両言語で作品を発表しており、翻訳された言語も多数に上る。

 こう言っちゃなんだが、大江健三郎、村上春樹、多和田葉子、吉本ばなな、どれもつまらんね。東野圭吾は天才だよ。

 

以下はこの本の挿画。独特のモチーフと造形、唯一無二のマチエール、どれをとっても小説作品が負けている。この本のよいところは、上質の紙を使用し、絵画作品の力を一定の範囲で表現できているところである。すでに文庫で出ているが、文庫でどこまでそれが実現できているか。書店で探してみよう。