2021年6月21日

 

辞書に関する本を3つ続けて読んだみた。

 

2021年6月16日

「比べて愉しい 国語辞書 ディープな読み方」(ながさわ)河出書房新社 2021年4月

 著者のながさわ(ペンネームでしょうね)は辞書蒐集・研究家。所有する辞書の数は2021年3月現在で1,000冊に達するという。学者でもなんでもない在野の研究家が、ここまで辞書を読みつくしていることに驚嘆。

昨今誤用として指摘されることの多い「押しも押されぬ」(正しくは「押しも押されもせぬ」)や「胸先三寸(正しくは「胸三寸」)など、徹底的に各種辞書をあたり、その用例を示して、必ずしも辞書すべてが誤用と断じていないことを立証している。力作。辞書編纂者や日本語学者はぜひこの本を参照されたい。新明解に対する評価が高いのは興味深い。

 

2021年6月16日

『「広辞苑」をよむ』 (今野真二) 岩波新書 2019年12月

 著者は早稲田大学大学院博士課程後期退学。高知大助教授を経て現在は清泉女子大学教授。この本自体は学者が辞書で遊んだという風情。学者というのはヒマなものだ。実に冗長で脈絡なく話が飛び、きわめてフォローしづらい。もうちょっと読み手のことを考えて、わかりやすい原稿にならんものか。岩波新書とあろうものが、こんな完成度の低い本を出すとは恐れ入る。ほぼ同じタイトルの『広辞苑を読む』(柳瀬尚樹)文春新書1999年 の方が圧倒的におもしろい。

 

2021年6月8日

「日本人の知らない日本一の国語辞典」(松井栄一)小学館新書 2014年4月

著者の祖父松井簡治は大日本国語辞典の編者、父 驥(き)はその改訂を受け継ぎながら早世。松井栄一自身も辞書編纂者となり、日本国語大辞典の初版、第二版の編集委員を務めた。

 

 興味深かった箇所を以下に引用。

P69-70 「耳ざわり」という言葉も、漱石の「こころ」から拾いました。近ごろ、「耳ざわりがいい・悪い」というと、「耳ざわりというのは、元来耳にいやな感じ、耳に障るという意味をいう。だから、“耳ざわりがいい・悪い”という表現はおかしい!」と感じる方もいらっしゃるでしょう。

 確かにその通り。もともとは耳に入ってくる雑音、いやな音やなにかをさした「障り」。それが、手で触るの「触る」と同じ音なものですから、そちらのイメージに引き寄せられ。漢字もだんだん「触」のほうを書くようになってきた、という流れがあります。ところが、漱石作品を読むと、必ずしもそうではないことがわかるのです。

 ■奥さんの言葉は少し手痛かった、然し其言葉の耳障りからいふと、決して猛烈なものではなかった。

「障」という感じを当ててはいますが、「触」を書いたほうが当てはまるような「耳ざわり」になっていると思いませんか?川端康成の『童謡』にも、

 ■肌襦袢ひとつで長い廊下をぺたぺた走りながら、彼女等がお互ひの名を呼び交す声などは、特殊な耳ざはりだった。

 決して「耳障り」ではなく、むしろたいへん興味を持って聞いている場面といえます。

 このように、今まで間違いだと思われていたものも、近代文学で調べてみると、案外古くから使われていて、そう簡単に間違いだとはいえないものがあります。

⇒最初に書いた ながさわ氏の著作もそうだが、こうやって実際の例を徹底的に検証していくアプローチは、その労力に驚嘆するとともに、アウトプットに信頼がおける。そういえば、辞書編纂者としてメディアへの露出もけっこう多い飯間浩明氏(三省堂国語辞典編集委員)は、実証的アプローチとそれをわかりやすい文章に置き換える表現力では頭抜けていると思う。この人の本はどれも興味深く読みました。

個人的に何度かお会いしているので、活躍には注目している。

  • 『遊ぶ日本語不思議な日本語』(2003年、岩波アクティブ新書)
  • 『ことばから誤解が生まれる』(2011年、中公新書ラクレ)
  • 『辞書を編む』(2013年、光文社新書)
  • 『辞書に載る言葉はどこから探してくるのか?ワードハンティングの現場から』(2013年、ディスカヴァー携書)
  • 『三省堂国語辞典のひみつ』(2014年、三省堂/2017年、新潮文庫)
  • 『辞書編纂者の、日本語を使いこなす技術』(2015年、PHP新書)
  • 『国語辞典のゆくえ 文学の世界』(2017年、NHK出版)
  • 『小説の言葉尻をとらえてみた』(2017年、光文社新書)
  • 『ことばハンター』(2019年、ポプラ社)
  • 『つまずきやすい日本語』(2019年、NHK出版)
  • 『日本語をつかまえろ!』(2019年、毎日新聞出版)

P76 『広辞苑』はしばらく見出しを変えずにいましたが、昭和五十八年の第三版になってようやく全面的に現代仮名遣い見出しに統一しました。

⇒これはびっくり

 

P79―80 時折、読者の方から「おたくの辞書に十手は載っていないのか?」といった問い合わせを受けることがあります。確かに、「じゅって」で引いても、小学館の辞書にはそれらしい見出しはありません。これは十手に限らず、「十戒」「十指(に余る)」「十中八九」なども該当します。これらは、「じゅっ~」ではなく、「じっ~」という見出しで掲載されています。つまり「じって」「じっかい」「じっし」「じっちゅうはっく」という見出しになっているのです。

 それはなぜでしょうか。「十」には「ジュウ」「ジッ(ジフ)」という音があります。「ジュウ」が「手」や「指」など、ほかの言葉と一緒になったとき、音が詰まって「ジュッ」という発音になる、と思われる方が多いのでしょうが、この場合は「ジュウ」の読みは変化せず、もう一つの読み「ジッ」が採用されているのです。この理屈からすると、十手は「じって」で、それ以外にはありません。ただ、現在多くの人が「じゅって」と読んでいることから、平成二十二年に告示された常用漢字表では「じっ」の読みに「じゅっ」の読みも追加されました。そのため、これから改訂される辞書では「じゅって(十手)」「じゅっかい(十戒)」でも引けるようになるはずです。

⇒『じゅっ』の読みは東京方言だと何かで見たような気がする。常用漢字表はこれが広まったことを追認したものと思われ、この経緯には触れてほしかった。著者が東京出身で東京弁で育ったという要素は大きいだろう。最近の日本語音韻論は東京弁偏重の傾向があるように思えてならない。東京弁イコール標準語ではないぞ。