これは実は昨年9月に読んだ本です。書き留めておきたかったのでここに写します。 

 少なくとも、今の日本を客観的に見ればこういうことなのではないかと、一つ一つ腑に落ちる評論でした。

 

P34-35)戦後の日本の教育やその基盤となる考え方のどこかが間違っているのではないか。(中略)私は教育についての競争原理の排除と。機会の平等ではなく結果の平等を尊重する偽善の弊害が、日本を二流国以下に落としつつあると考えます。

P48-49)「検閲は、これをしてはならない」と第二十一条に明記された憲法を、1946年、アメリカ占領軍は交付させました。しかし総司令部はひそかに検閲官を動員し、私信を開封して日本人のこの憲法への反応をチェックしていました。(中略)

 問題はこうしたダブル・スタンダードで日本占領に成功したという事実がアメリカ本土ではほとんど知られていないということです。

P56-57)英仏海峡は泳いで横断する人も出ますが、それでもナポレオンやヒトラーの英国侵入を防ぎました。日本を大陸から隔てる朝鮮海峡や対馬海峡を泳いで横断することはできません。

 しかしそのような地理的位置から生まれた安全性は、いまや交通手段・武器運搬手段の急激な発達によって次第に失われつつある。そうした時代に入っても日本の絶対平和を主観的に確信する人たちは、日本が外敵に侵入される可能性があるということを正面から考えることが出来ない人たちなのではないか―と心配になります。日本が人民解放軍に占領された場合はどうなるか、などという場合を想定すること自体が良からぬことのように思っているのだとしたら、性善良かもしれないが、お人好しで、無責任といわざるを得ないでしょう。

P84-85)いまや、「戦後体制の護持」を積極的に叫ぶ反安倍勢力は、客観的に見ればそれこそが保守反動であり、左翼とは称するものの現状維持を願う勢力です。かつて本気か嘘気か、共産主義や社会主義を理想として掲げた彼らには将来への展望はありません。(中略)自分を取り巻いている国内のマスコミの情報環境とその価値観から脱却できなかったからこそ、戦後民主主義の優等生たちは国際社会の現実がつかめず、みじめな最後を迎えつつあるのだということを忘れてはなりません。

P87)民主党政権を担う左翼秀才の面々は、日本国内ではかつてはもてた人であった。それだからかつては選挙に勝てたのでしょう。だがいまやもてなくなった。日本でも通用しない、ましてや世界で通用するわけがない。これは大変なことです。問題が深刻なのはこれが特定個人の資質の欠陥であるというより、戦後民主主義における教育情報環境の構造的欠陥のせいだからです。

 菅直人という人も仙谷由人という人も鈍才だから妙な政治的判断を下したのかというと、そうではない。彼らは戦後日本の教育情報空間の中で育った優等生で、いってみれば大新聞の論説通りに行動した。彼らは左翼系大新聞の模範解答通りの答えを述べた。彼らは元旦から朝日を拝まずに朝日新聞を拝んでいた。だからこそ失政が続いたというのが私の見立てです。

P87-88)家永(三郎)の自伝『一歴史学者の歩み』には昭和初年の家永家の生活難が書かれていて読者の同情をひいている。しかし家永の父は陸軍大学卒で少将まで昇った人物ですから、当然人並み以上の収入があったはずです。それなのに生活難を口にしたのは、三郎には「人並み以上に豊かだった」とはいえない心理的抵抗があったのでしょう。

 なにしろ敗戦後は反軍思想を掲げ戦後民主主義のチャンピオンとなった歴史学者です。読者の気分を害するまいと生活難をことさら強調した。そういう人間がどうも怪しいぞ、という警戒心をお持ちになる方がよくはないでしょうか。

P89)実証主義で知られる近現代史家の秦邦彦は、「朝日新聞」の報道で吉田(清治)の存在を知り、怪しいと直感して出版社に電話すると「あれは小説ですよ」との返答を得た。済州島の土地の人も否定した。吉田本人も週刊誌記者に問いつめられてそのことを自認し「事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くのは新聞だってやっているじゃないか」と開き直った。虚言癖の人の証言が大新聞によって世界的に報道され、吉田の本は韓国語以下に翻訳され、国連報告書にも採用され、日本は性奴隷の国という汚名をかぶせられました。その経緯は秦邦彦『歪められる日本現代史』(PHP研究所)に詳しく記されています。

 家永三郎には歴史に対する感性がないから、吉田清治が病的虚言症だということを見抜く力もない。そんな家永は戦後という時代の御用学者として歴史書を書いた人であったと思います。日本の悪い面をこれでもかこれでもかと列挙した挙句、中国人民解放軍のよい面をこれでもかこれでもかと書いている。彼の結論は「日本はアメリカの物量に敗れる前に先だってすでに中国の民主主義に敗北していたのである」というものでした。

 なお、近隣諸国の中には証人が虚言症であることがわかっていても、反日宣伝のためとあればいくらでも利用することがあることは、ご存知の通りです。しかしそれを利用するかしないかに国家の品格はおのずと示されるのではないでしょうか。

P119)中国では自国の悪は一切教えません。二十世紀に中国人が中国人の手で殺された数は日本軍の手で殺された数よりよほど多いのですが、自国民の手で殺された中国人は日中戦争の死者より何倍、いやひょっとすると何十倍も多い、などとは口に出して言えません。それが本当であればあるほど言えません。それこそ認めたくない中国の専制政治の暗黒面だから、悪者は日本にしてしまう方が都合がいい。それだから無知な民は、中国はいい国だと黄福夢にひたっています。

P165)朝鮮半島の政治文化は酷薄なものです。南の韓国では軍人ではなく文民の金泳三氏が1992年12月、全国民の直接選挙で大統領に選出されました。選挙制度とは政権交代が流血を伴わずに行われるところに利点がある。これで隣国にも民主主義が定着したかと思ったら、金泳三はなんと自分の前任者の軍人出身の大統領二人を裁判にかけ一人に死刑の判決を下しました。 

 恩赦で死刑を執行しなかったからまだしも穏便にすみましたが、北の朝鮮民主主義人民共和国で新しい最高指導者が権力を確立するためには、肉親も側近も粛清する。その様とどこか一脈通じています。南の韓国が自国の前任の政治指導者に死刑判決を下すようでは、北の政治指導者が平和統一に応じるはずは絶対にないではありませんか。

P181)日本にも牛豚の肉を食べるのが世界の大勢だからと鯨肉食用反対の主張に同調する人がおられます。だがそれは西洋人の発言のみに耳を傾けるからで、牛豚の肉は食べぬという戒律を黙々と守っている人の数の方が実際は多い。何を食べて良く何を食べて悪いかは宗教文化によって違います。しかしヒンズー教徒やイスラム教徒はその戒律を他の宗教文化の人に押し付けはしない。他国の食い物を西洋文化の価値基準で判断する論は感情論に近い。

 「生態系が破壊されるような迷惑を及ぼさぬ限り、他人が何を食べようと、その良し悪しに干渉するな

 ということが天下の原則となるべきではないでしょうか。」