2021年5月21日

 

 私は心情ネトウヨであるから、通常時事本で読むのは桜井よしこ、百田尚樹、ケント・ギルバート、高山正之等々右派論客の著書である。しかしながらそっち方面ばかり読んでいると脳みそが偏るので、たまに左サイドにも足を運ぶ。そういう意味では期待を裏切らない本であった。

 書評の形をとっているが、採り上げた本はそっちのけで、ひたすら結論を政府批判にもっていくという変わらぬ姿勢はいっそすがすがしい。

 人の容貌をあげつらうのはあまり品のいいことではないが、それにしてもこの人を見るとすぐに、かつて北海道大学教授として国から給与を受けつつ、反政府活動にいそしむ山口二郎とかいう人物とよく似ているなと思ってしまう。あの特徴的な三白眼、骨ばった顔だち、およそ笑顔の似合わない酷薄そうな佇まい、どれもが映画に出てくる安手のスパイといった雰囲気である。

 左サイドにも一定の需要と供給があるから、この人たちもそこそこ稼いでいる・・というのは貧乏人のひがみだが、佐高氏の著書はコアなファンに売れているし、山口センセは科研費を何億円もとりつけてくる才覚をお持ちでいらっしゃる。あのノーベル医学生理学賞の山中伸弥先生が、iPS細胞の研究費用の寄付をお願いしますとネット等で募っておられることが残念でならない。

 

  

 

さて具体的に見てみよう。

 

P46-47 23『許永中』(森 功)・・・最初の3分の1くらいは当該書籍に触れているが、そこから話は「闇社会の守護神」と呼ばれたヤメ検弁護士の田中森一に飛び、森功の他の著書「悪だくみ」へ飛び、左翼の念仏「もりかけ」に移り、最後の一行は「許永中と安倍晋三のどちらが、ヨリ悪なのか?そんな問いさえ発したくなってしまう。」である。

 

P110-111 54『田中角栄』(早野 透)・・・佐高サンは、政治の選択は、結局はダーティなハトかクリーンなタカの選択に行きつくと言う。結びはこうである。「タカ派の特徴としては、反共産主義で憲法を遠ざける。暮らしや生活よりイデオロギー優先なのである。それに対してハト派は、憲法は今のままでいいではないか、共産主義といっても隣の国とは仲良くしたほうがいい、とイデオロギーより暮らしを優先する。具体的に言えば、小泉純一郎や安倍晋三が(比較的)クリーンなタカであり、田名角栄がダーティなハトの象徴になる。分配を心がけるハト派は、ダーティにならざるをえないところもある。たとえば軍人などクリーンなタカの典型と言ってもいいが、それよりはダーティでもハトのほうがいいという視点を得て、私は田中を見直すようになった。」

 イデオロギーと生活のくだりはむしろ逆でしょう。日本共産党からイデオロギーをとったら何が残る。彼らこそ典型的な(一見)クリーンなタカに違いない(クリーンなはずの共産党が政権を握った国の政治腐敗はわが日本の自民党の比ではないが)。まともな隣国なら仲良くすべきだろうが、今の日本の近隣諸国はそういう国ではなかろう。典型的左翼脳だな。

 

P164-165  80『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(米原 万里)・・・後半はこの本とはほぼ無関係。佐高サンと米原氏の対談の話。ワーグナーが好きという点で小泉純一郎と共通するヒトラーに友人はいなかった、とか、ことさらに人物を貶める表現は品がない。さて、最後はこうだ。「小泉とブッシュを安倍とトランプに置き換えれば、さらに「戦争をやりたくて仕方ない」勢力はその数をふやしていると言わなければならない。」ですと。

 

 ひとつおもしろいなと思ったのは、満洲国という表記を使っていることである。洲の字は、常用漢字に含まれないという理由からか、現在の日本のメディアは洲の代わりに州を使用して、満州と表記するのが一般である。この本で採り上げられている『満州裏史』(太田尚樹)もそうである。しかし満洲は固有名詞だよ。豊洲を豊州と書いたら怒られるだろう。ひごろ政府の言うことやることに文句をつけてばかりいるマスメディアが、お上(文化庁)のお達しに唯々諾々と従っているように見えるのは私だけか。そこだけはこの本を評価したい。

 

 最後に、この本のP26-27 13『共生の大地』(内橋 克人)から・・・「多くの経済記者は、内橋の指摘するように、「冷暖房のきいた応接室に座って、コーヒーを飲んで、トップに会い、その会社がわかったような気持ちで」記事を書く。たいてい、それはトップを礼賛する成功物語である。現在もそうした記事が主流である。」

 この、佐高サンとか山口センセあたり、テレビ局の用意したシナリオにそって賢しらに政府批判をまき散らすか、あるいは街頭へ繰り出して、一国の総理に向かって「お前は人間じゃない。叩き斬ってやる」などと叫んだりしているよ。大して変わらんと思うが。