「歴史認識」とは何か 大沼保昭著 聞き手 江川紹子

(中公新書)2015年7月

 

 「歴史認識」(さらに「歴史問題」)ということばは、1990年代から韓国で―これらのことばにあたる韓国語で―よく使われるようになり、日本でもそれにすこし遅れて盛んに使われるようになった。(本書序文より)

 

 本書は『歴史認識』に関する決定版と言っていいのではないか。学生時代この本の著者である大沼先生の講義を聞いた。1946年生まれで私より10歳年長であるから、当時は30歳を過ぎたばかりの少壮気鋭の国際法学者という雰囲気であった。まだ助教授であったか。

 失礼ながら講義そのものはおもしろいものだったという記憶はない。その後の活躍には興味をもって追いかけていたが、どちらかといえば岩波文化人的な立ち位置であったように理解していた。大沼氏の著書である『「慰安婦」問題とは何だったのか』(中公新書)を読んだときもその印象は変わらなかった。ところが本書を見ていささか驚いた。左右に限らず感情的に対立者を罵倒する論調が多い中、きわめて冷静にして公平中立、鋭い観察と実証的な説明で読む者を黙らしめる論を展開している。以下、私の拙い感想は省略して、本書からの抜粋。

 

*わたしは、戦争責任、植民地支配責任を真剣に考え、それらの被害者の尊厳の回復を人権の思想と制度をもって実現するという70年代から90年代にかけての日本社会の取り組みは正しかった、それがなければ日本は国際社会で名誉ある地位を占めることはできなかったと、強く思います。そうは思うのですが、他方、この時代の風潮として、それを唱える人自身もとてもできない、社会の多数を占める普通の人からみると、「そうご立派なことをいわれてもねえ」という、過度に倫理的な要求を強調するきらいがあって、一般の人たちにはそれがとても嘘っぽく聞こえたのではないか。そうも考えるのです。

 韓国や中国は、われわれに要求することを自分たちはできるのか。日本ばかり責めるけれど、韓国にも慰安婦はいたではないか。ベトナム戦争のとき派兵された韓国軍はベトナムで、一体どれほどひどいことをやったんだ。中国は、南京大虐殺だと日本をさんざん非難するけれど、自分のところであれだけの人権弾圧をやっているではないか。毛沢東は大躍進や文化大革命で自国民を何百万人死なせたんだ。チベットやウイグルでの大規模な抑圧、人権侵害は何なんだ。そういうことをやっていながら日本を批判できるのか。あるいは欧米はあれだけ列強として植民地支配をやっておきながら、なぜ日本に説教を垂れるのか。自分たちは、旧植民地の膨大な数の人々に、日本のように反省を示して謝罪したのか。これは、素朴な、人としてごくあたりまえの不公平感だと思うのです。(P122-123)

*その一方で、『朝日新聞』をはじめとする「進歩的」メディアが自分たちの「正義」をふりかざして一方的で偏った報道をしてきたことについて、90年代から日本国民の不満が溜まってきたように思います。その不満や批判はある程度は正当なものだと思いますが、それが行き過ぎて感情的な嫌韓、反中の論調が雑誌やウェブ上で展開されるようになってしまった。自分に都合のいい事実だけを集め、きわめて煽情的な見出しで記事を書く。聞くに堪えないような低劣な表現で韓国や中国への非難をくり返す。本来は正当な根拠をもっていた不満や怒りが、汚ならしい、偏見に満ちたことばで発信されてしまっている。歴史の事実を認めようとしない言説も、かつて以上に広範に出回っているという印象もあります。(P156)

*ただ、この時代の日本がとても残念だった点があります。ひとつは、時代の潮流を読むことができなかったこと。(中略)

 もうひとつは、明治以来一貫する「脱亜入欧」(停滞した旧弊なアジアの一員であることをやめて、「進んだ」「強い」ヨーロッパの一員になろうという、日本の政策と意識)の一環としてのアジア、アフリカの人々への差別意識です。日本は、パリ講和会議の際に、国政連盟規約に人種差別撤廃条項を入れることを提案しています。この提案は英米、オーストラリアなどの強い反対で採用されませんでしたが、人種差別撤廃を求めたという事実自体は高く評価すべきでしょう。ただ、人種差別撤廃を提案した当の日本が、中国人への民族的偏見をもち、朝鮮を植民地支配し、南洋諸国の人々を「民度の低い土人」とみていた。石橋湛山は、人種差別撤廃の要求を強く支持しつつ、「吾輩は我国民の実際に行いつつある所を見て、忸怩として、之れを口にし得ぬことを残念に堪えぬ」(『東洋経済新報』1919年2月15日号社説)といっていますが、これはまったくそのとおりというほかありません。(P174-175)

*2001年の9.11同時多発テロ事件の後、ブッシュ米大統領が対テロ戦争を「十字軍」と口走った。欧米からみれば、十字軍は聖地を異教徒の支配から取り戻す聖戦だったかもしれないが、アラブ諸国、ムスリムの人たちからみれば各地で残虐行為を働いた侵略であったという、「あちらの側からみた歴史」。この構図が理解できていないのです。欧米諸国のこういう無邪気で自己中心的な歴史認識は、植民地支配に関しても顕著です。

 日本は戦後、敗戦国という立場にあり、中国、韓国その他の国々に批判されながらではあれ、それなりに日本の戦争と植民地支配を反省し、謝罪をしてきました。それに比べると、かつての欧米列強は、日本トドイツを批判するこをはやっても、自分たちの植民地支配責任や帝国主義政策、他国への侵略行為に関しては、ほとんど反省の意を表していない。典型は米国で、ベトナム戦争であれだけ枯葉剤を使い、その結果多くの障碍児が生まれるような残虐なことをしておきながら、ベトナムに対してまったく謝罪していません。フィリピンを植民地支配したという意識もない。フランスにしてもイギリスにしても、植民地支配についての責任意識、帝国主義的外交への反省は、一般国民も知識人もほとんどないし、かつての植民地支配への謝罪も、日本に比べてきわめて限られたものでしかない。

 つまり、日本とドイツは明らかな侵略国であり、敗戦国であったために、戦後厳しい反省を迫られ、実際に反省してきた。ところが、ドイツ以外の欧米の大国は、戦勝国であったがゆえに、植民地支配と帝国主義外交を支えた非欧米諸民族への優越意識を真剣に反省し、植民地支配の悪に正面から向かい合う機会を今日までもてていないのです。欧米の指導者・知識人は、人権や環境、民主主義などの理念について、自分たちが教師であるという無意識の優越感をもって日本や他の国々にお説教を垂れる。こういう傲慢さを感じてしまうから、西欧で育って西欧の高度の民主主義、人権保障に接しているはずのムスリムの二世などがテロに走ってしまう、という一面があるのでしょう。このようにドイツ以外の欧米の大国が向き合ってこなかった戦争責任、植民地支配責任について日本が批判されるのは、明らかに不公平だし、不愉快なことではある。しかし、だからこそ日本は、欧米が陥っている傲慢さからすこしは免れている、ともいえるのです。(P192-193)

*香港は1997年に中国に返還されますが、当時、欧米の発想が支配的な国際社会の関心は、もっぱら「英国が育て上げた香港の民主主義が、共産党独裁の中国の下で維持されるだろうか」というものでした。日本のメディアもそういった論調だった。ほとんど唯一、作家の陳舜臣氏が、これはまずは「歴史の清算」であり、植民地支配の終焉なのだと指摘しました(『朝日新聞』1997年7月1日)。わたしはまさにそうだ、と膝を打った記憶があります。

 返還式典でも、アヘン戦争の流血や植民地支配について英国からの謝罪はありませんでした。最後の総督だったクリストファー・バッテン氏は記者会見で、「(英国が香港の)民主制を発展させた」と述べ、過去一世紀半に及んだ植民地支配について謝罪しないのかと聞かれると、、「アヘン貿易まで正当化しようとは思わないが、一体、今何を謝罪するのか。この未来志向の都市で、十九世紀の話をするのは驚くべきことだ」と述べています。

 こういう事実を思い起こすと、「欧米は日本を批判する前に自国を省みてはどうか」という声が出てくるのも、無理からぬことだと思います。今日の中国人も、アヘン戦争が屈辱の近代史の始点だという意識は強くもっている。日本との問題が大きいので目立っていませんが、中国は英国が与えた「国恥」を忘れてはいません。(P199-200)

*日本には、同じように植民地支配をやっていながら、なぜ日本だけが非難されるのか、せいぜい日本のほかはドイツが「加害者」として挙げられるが、いつも「ドイツはよくやったが、日本はまだ反省・謝罪が足りない」といわれるのはおかしい、という不満、不公平感が以前からありました。二十一世紀になって、「歴史認識」がますます争点化するにつれ、こうした不公平感はさらに強まっています。わたしはこうした不公平感は当然であり、正しい感情・思いだと思っています。日本国民は、日本を批判しながら、植民地支配、ベトナム、中南米諸国への軍事干渉、国内での非道な弾圧など、自分たちの過去の負の側面には向き合ってこなかった西欧や米国、中国やロシアを批判してよいし、批判すべきだと思います。わたし自身、そういった作業を1980年代から続けています。(P216-217)