手術が終わって一息ついて、娘に、机に置いてある本を病院に持って来てと頼んだらその中にこの2冊が含まれていた。これを同時並行で読めたのは天の配剤か、娘の神がかり的ひらめきか。どちらか1冊であれば途中で投げ出していたに違いない。特に最初の「時間は存在しない」(カルロ・ロヴェッリ)は私の脳みそではついていけない物理学、それも量子力学に関わるエッセイだ。曰く「時間はいつでもどこでも同じように経過するわけではなく、過去から未来へと流れるわけでもない。」「物理学的に時間は存在しない。この世は物質でできているわけではなく、存在するのは出来事と関係だけ。」「時間と空間の中にわれわれが存在するわけではなく、出来事があることで時間と空間を生じる」「エントロピーの法則により増大したエントロピーを統計的な側面からしか眺められない人間は、時間に方向性や流れを感じる。だから物理的な作用によって、記憶が未来を認識せず過去を記憶し、それが遠ざかるほど薄れていく。つまり量子化された世界の時間とは継起的なものではなく、ぶつ切りの飛び飛びのものなのだ。」・・って、あなた理解できますか?

 一方二つ目の「モモ」(ミヒャエル・エンデ)は、時間泥棒に盗まれた時間を取り戻しに、時間の国へ行くというファンタジー。ミヒャエル・エンデといえば“Never Ending Story(はてしない物語)”の原作者ですね。40年近く前にあの映画見たな。ハリー・ポッターの先駆けみたいなものか。映画はつまらなかった。でも、この本は、『時間は存在しない』をファンタジーで説明してくれたかのごとき作品で、エンデは量子力学的『時間』を理解したうえでこの物語を書いたのだろうか。

 わからないなりに、そして病後の気分もないまぜになった状態での読書でもあり、印象深い2作品でした。