日本語スケッチ帳(田中章)岩波新書 2014年4月

 

 

 著者は東京生まれの東京育ち。東京人にありがちな東京弁が標準語という意識が垣間見える。言語学者のわりに言葉の扱いが粗雑、というか岩波の校正のレベルが落ちたのか。

(例1)「1964年の東京大会では『ウルトラC/回転レシーブ/月面宙返り/おれについてこい(中略)・・・などが生まれたが、2020年の大会では、どんな言葉が生み出されることだろうか』」(P100)。「月面宙返り」は1972年ミュンヘン大会での塚原選手の鉄棒の降り技である。すぐ後のP109で「1972年のミュンヘン・リンピックで『後方かかえ込み2回宙返り1回ひねり』の『月面宙返りが』(後略)」として紹介しており、齟齬を見過ごしているのはお粗末。同じページで、カタカナ語全盛の外来スポーツとして「フットサル、ボブスレー、リュージュ(中略)、ゲートボール・・・」と言っているが、ゲートボールは日本発祥だろう。

(例2)「くわしく調べたわけではないが、『ゴ(注意)イタダキマスように』や『オ(楽しみ)イタダケマスように』のような言い回しは、東京以外の、たとえば、関西などで使われ始めたものではないかと推測している。ついでに、もう一つ(中略)、『JR乗り換え口です』『チャーハンでございます』の『~デス』『~でゴザイマス』が、急速に『~ニナリマス』の置き換えられつつある。(中略)この言い方も、どうも東京生まれではないように思われる。(中略)西日本、特に、関西などでは『~デス』は、あまり好まれない。」(P145~146)この、フィールドワークの裏付けのない大雑把な議論はどういうことか。言葉の揺れに関する本はいくつも読んだが、素人のウンチク本ならいざ知らず、国立国語研究所で日本語研究の最前線にいた人の言説としてはいかにも実証性に欠けると言わざるを得ない。