江ノ島の夢 | さんざのブログ

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ハンドメイド作家のさんざです!
裏話やたまに前世の記憶話、等Instagramとかに書けない話を書いてますw

東海3県の移動販売催事主に、回ってます。

一昨日は東京ビッグサイトにて娘っこの

ファッションショーにつきそい、


日帰りで帰るにはしんどいかな、、と



宿泊しましてニコニコ




ホテルで寝たのですが




オイラ、いきの新幹線で

うとうとしていたら、


ふと、不思議な夢を見て、起こされ、

起こされた場所を見ると、

一年前に、夢にでてきた熱海の「来宮神社」の

真横を通ったタイミングで


光がポーンとやってくるイメージで起こされ




なんだろー?と思ったけど、





やっぱり眠たいからふたたびうとうとし真顔





そしてまた今度は違うイヤーな感じで起こされ。




着物姿の横たわる女の人が

口から血を流し

カッと目を見開いてこっちを横たわったまま目が合うという悪夢で目が覚め。




その場所は小田原城の近くでした(^◇^;)




うーんと


もしや敵襲がくるからあそこの神社さんが

教えてくれたのかなチュー



ありがとーラブと伝えました。





そして、宿泊先でもまたもや


夢を見。




行ったこともないし

興味もなかったまさかの



「江ノ島」の夢びっくり




江ノ島だけ海から見ている光景で。



起きてすぐ、江ノ島ってどこだったけ、、

本当に無知w




と調べると





ここらしい





鎌倉の近く、、





今年鎌倉時代の前世がわかり



そしてすごい偶然だけど



今回出演させてもらった、

ファッショショーの


デザイナーさんのお店が鎌倉にあると知り。



偶然ってすごい重なるよねびっくり

→よくあるから最近慣れてきた、、





なんか意味あるんだろうね。






江ノ島についてとりあえず調べたのですが




江ノ島の中にある



児玉神社。


社紋がさ、


まさかの源氏の家紋なんだよね。




気になった神社の御祭神様がね

人間で。






 御祭神児玉源太郎命(1852〜1906)は、明治陸軍ならびに政府の中枢として縦横の働きをされた偉人です。卓越した軍略の才と政治手腕をもって知られ、陸軍大臣・陸軍大学校長・文部大臣・内務大臣・台湾総督等、国家の要職を歴任。また教育文化の面でも成城学校第七代校長を務める他、郷里徳山に私費で図書館(児玉文庫)を設立なさる等、前途有為な青少年の育成に尽力されました。

 明治36(1903)年、満州を占拠した大国ロシアが朝鮮半島支配を狙い、我が国は国家の存亡を賭けてロシアと対決せざるを得ない局面を迎えました。開戦当時、ロシアの圧倒的な軍事力の前に、欧米諸国が悉く日本の敗北を予想する中で、世界的な戦術の権威であるドイツの軍人K・W・ヤコブ・メッケルが、「日本には児玉がいる。児玉がいる限り日本陸軍が勝つ」と看破した逸話は有名です。はたして、御祭神は次期首相と目されながら内務大臣の職を辞し、自ら降格して大本営参謀次長となり、開戦時は満州軍総参謀長として出陣。日露戦争全体の戦略立案から海軍との調整、満州での実際の戦闘指揮、戦費調達、欧州におけるロシアへの革命工作、アメリカへの講和依頼と、あらゆる局面において活躍され、見事祖国防衛の主導的役割を果たされました。特に難攻不落と言われた旅順要塞の陥落は、御祭神の直接の指揮により成功した作戦であり、日本の勝利を決定的にした激戦として、「二〇三高地」の名で知られています。

 救国の英雄と讃えられつつ、御祭神は日露戦争ですべてを燃焼されたかの如く、明治39年7月23日、55歳にして急逝されました。三回忌を期し、親友であった杉山茂丸が、御霊をお祀りすべく向島の私邸に社を建立したのが児玉神社の端緒と考えられます。後年、御祭神が江の島の風光を愛でてたびたび訪れた縁から、現在地に遷座されました。十三回忌に当たる大正7(1918)年、公認神社への昇格請願が内務大臣に受理されたのを受けて、奉賛会長の後藤新平を始めとして石塚英蔵(第十三代台湾総督)・小山健三(実業家、大阪財界の重鎮)・柳生一義(第二代台湾銀行頭取)・山本悌次郎(台湾製糖常務取締役支配人)・荒井泰治(台湾商工銀行頭取)の計6名を発起人とし、社格(県社)にふさわしい社殿の新営運動が推進された結果、大正10年7月に主要社殿が建立されるに至りました。施工監督は横沢次郎(台湾総督秘書官)、土地約二千坪は中村豊次郎(初代の児玉神社総代)の寄附でありました。

なお、発起人諸氏醵金として台湾銀行を始め多くの植民地関連企業とその関係者が名を連ね、献燈は満州と台湾関係者で占められています。造営に際しても、御祭神が9年間治政に当たられた台湾より幾多の寄贈を受けており、鳥居、燈籠の寄進にとどまらず、社殿は阿里山の檜を用いた総檜造です。設計は伊東忠太工学博士(寺社建築の第一人者)が担当しており、ゆえに当社社殿は間然する所なき近代神社建築の模範と称えられています。ちなみに、一部の鳥居と燈籠にはご生地徳山の花崗岩が用いられています。



なんとなくだけど、この人今の日本にいたら強いんだろうな、、と

だって○シアって。まさしく今でしょ、、




なぜこれか降ろされてきたのかは、わたしにはわかりませんが。




とりあえず、無事に娘の用事が終わって良かったです。




今日は休みだけど、たくさんたくさん用事も仕事もありますので


今日も一日忙しなく頑張ります爆笑