皆さん〜おはNYUです(*^^*)✌️






今回は

ゆづがフリーに選んだ“オリジン”

その元となった

『ニジンスキーに捧ぐ』




その中で

ニジンスキーという人物に関して改めて焦点を当ててみましたm(_ _)m








⭐︎ニジンスキー⭐︎








ニジンスキーは1890年3月12日 、ウクライナのキエフでポーランド人の両親の間に生まれました。


1900年、10歳でサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場付属舞踊学校に入学し、バレエメソッドを学び

18歳でマリインスキー劇場の主役に抜擢されました。

ニジンスキーにとっての転機は セルゲイ・ディアギレフとの出会いでした。

二人は深い親交を結び(同性愛の関係)、

ディアギレフはニジンスキーの活動に大きく関与するようになりました。

1909年、ディアギレフはマリインスキー劇場を出たニジンスキーとアンナ・パヴロワ、振付師のミハイル・フォーキンらと共にパリでバレエ・リュスを旗揚げし、公演は各地で大成功。

ヨーロッパの芸術界の中でディアギレフの名は揺るぎないものになりました。


その後、一度マリインスキー劇場に戻ったがトラブルを起こして解雇され、再びバレエ・リュスに戻りました。

そしてフォーキンの振り付けにより、『薔薇の精』と、イーゴリ・ストラヴィンスキーの『ペトルーシュカ』に出演。

特に『薔薇の精』ではまるで空を飛ぶような高い跳躍を見せて人々を驚かせました。

その後もニジンスキーはディアギレフのサポートにより3つのバレエを振付けて上演。

ドビュッシーの管弦楽曲「牧神の午後への前奏曲」による『牧神の午後』、『遊戯』、リヒャルト・シュトラウスの『ティル・オイレンシュピーゲル』。


しかし、『牧神の午後』ではあまりにも性的な振り付けをしたために不評を買い、ディアギレフもニジンスキーの振付の才能を疑問視。

そんな中でニジンスキーが振り付けをしたのがストラヴィンスキーの『春の祭典』でした。

ニジンスキーはこの曲で、19世紀のクラシック・バレエでは考えられなかった、脚を内股にし、頭を曲げるという振り付けを行いました。

これは、まさに20世紀バレエの幕開けでした。

1913年、バレエ・リュスは南米公演を行いますが、航海が嫌いだったディアギレフは不参加。

ツアーの途中で、ニジンスキーはハンガリー人のバレリーナでニジンスキーのファンだったロモラ・デ・プルスキと恋に落ち、ブエノスアイレスで結婚式を挙げました。

その知らせを聞いたディアギレフは激怒し、間もなく二人を解雇。

ニジンスキーは新たにバレエ団を旗揚げしますが、ニジンスキーには興行師としての才能が無かったのが災いして結局失敗に終わり、多くの心労を背負い込むことに。

第一次世界大戦が起こると、ロシア国籍であるニジンスキーはハンガリーに拘留。

この間に、ニジンスキーは独自の方法で『牧神の午後』の舞踏譜を作成。

1916年、ディアギレフはバレエ・リュスの北米ツアーのために再びニジンスキーを呼び戻し、ニジンスキーは『ティル・オイレンシュピーゲル』を振付けて上演。


しかしこのころになると次第に統合失調症の兆候が現れ始め、仲間たちを恐れて部屋に閉じこもるように。

これが二人の最後の出会いでした。



1919年1月19日、静養先のスイス・サンモリッツのスヴレタ・ハウス・ホテルのホールで「神との結婚」と自ら呼んだ公演を最後に、ついにニジンスキーは神経衰弱に陥りました。

こうして、ニジンスキーのキャリアは終焉を迎えました。


『ニジンスキーの手記』として知られている手記は、この公演の直後から精神病院に入院するまでの6週間の間に書かれました。


内容は案の定錯乱しているものの、彼自身の貴重な回想録として一定の評価を得ています。


ニジンスキーの後半生は、精神病院をたらい回しにされ、危険なため現在は行われないインスリン・ショック療法を受けるという悲劇的なものでした。


妻ロモラの介護もむなしく、ニジンスキーはついにバレエの世界に戻ることはありませんでした。


1950年4月8日のイースターにニジンスキーはロンドンで生涯を閉じます。



ニジンスキーは、驚異的な脚力による『まるで空中で静止したような』跳躍、中性的な身のこなしなどにより伝説となりました。

また、ニジンスキーの舞踏の映像が一つも残されていないことも、ニジンスキーの伝説に一役買ったようです。



🍀おしまい🍀








ニジンスキーはモダンバレエの先駆者といえるほど常人離れした感性・神経を持った天才過ぎるアーティストゆえに

後半生はまさに狂気との戦いといえるほど苦悩に満ちていました。


光と陰

栄光と悲劇が交錯し

ドラマティックな生涯を終えた歴史的な人物という印象もあります。





プル様は以前

『ニジンスキーをやるには深い認識がいる。

僕の作品の主人公を最もクールに再演できるのは羽生結弦だろう。』


って語っていましたが


プル様以外にこの伝説的な作品の主人公を違和感なくすんなり演じることができるのは


ゆづ以外にはもはや考えられない気がしますよね(*≧∀≦*)



ゆづがオリンピック2連覇を果たした後、

自分へのご褒美も兼ねて

プル様の代表作ともいえるこの作品を選んだっていうことがとにかくとっても感慨深いです(๑>◡<๑)















ゆづの作り上げるオリジンの世界✨✨✨

どんな奥深い作品に仕上げてくるか

楽しみでしかたありません╰(*´︶`*)╯♡





















それでは



今日のお月様からのワンポイントメッセージ🌛✨↓



気心が知れた大切な人たちと過ごすリラックスタイムを大切に

静かにじっくり自分と向き合うのもいいでしょう✨✨✨





ゆづが心身とも元気な毎日を過ごせていますように╰(*´︶`*)╯🔔👼🍀😊🙏✨💕❤️✌️











ゆづ〜

思いっきりご褒美タイム楽しんでね\(^ω^)/ラブラブチョキ




最後までお読み頂きありがとうございました😊❤️✌️