花火を見てたら涙が出てきた。。。 | ネマリンミオパチーに奮闘中

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ネマリンミオパチーという先天性筋疾患と闘いながら毎晩呼吸器のお世話になって明るく生きてます。

今日は朝から「呼吸器内科」と「神経内科」を受診して来ました。


神経内科では夏バテ気味なのでいつも通り「ラコール」を処方してもらいました。


昨夜は長岡大花火大会の2日目でした。


ユーストリームで19:00から実況中継があったので、見ました。
9時からのさんまの「ほんまでっかTV]も見たいけど、こちらを最後まで見ました。



協賛してくれた企業は団体の名前を全て紹介してから

「○○による○○花火、打ち上げ開始でございます」という女性アナウンサーの声も可愛いかったです。


「長岡高校平成元年卒業生一同」という花火もありましたね。


約40社が協賛しているため、長い長い全ての企業の名前を紹介してから打ち上げられた「天地人花火」も豪快でしたが、やはりフィナーレの「フェニックス」は最高でした。


花火を見て、涙が出たのは初めてでした。


ツイッターで初日長岡で講演会があって生でご覧になった「乙武さん」がつぶやいていた「なんか涙が出てきた・・・」とい言葉。本当に私も感じました。


30年ほど前に長岡在住のスキー仲間に誘われて「長岡花火大会」をリアルで見ましたが、
その時はまだ「フェニックス」はなかったけれど、豪快な打ち上げ花火だったとの記憶はあります。


真珠湾攻撃とミッドウェー海戦での総指揮に当たった山本五十六が長岡出身ということで平和友好都市のホノルルから市長夫妻も招かれていましたね。


(引用)


復興祈願花火 フェニックス(超ワールド・ワイド・ビッグスクリーン)


2005年に前年市内を襲った7.13水害・中越大震災・豪雪の3つの自然災害からの復興元年と位置づけ、
復興祈願花火「フェニックス」が打ち上げられたのが始まりである。


『フェニックス』は、花火の中心にフェニックス(不死鳥)が現れる尺玉(10号)花火である。
これを含めたスターマインを、6箇所の打ち上げ場所から平原綾香のデビュー曲『Jupiter』に合わせて打ち上げられる。


新潟県中越地震の際、被災者を勇気付ける応援歌として、新潟県内のラジオ局で多くリクエストされたことでこの曲が採用された。
ただし、「Jupiter」は約6分の歌だが、『フェニックス』の打ち上げ時間に合わせて約3分程に短縮されたいる。


祭そのものの起源は1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭であるが花火大会の始まりはこれとは別で1879年9月14日と15日の2日間、
千手町八幡様の祭りに長原などの遊廓関係者がお金を出し合って花火350発を打ち上げられたのが始まりと言われている。


その後、本格的な花火大会となったのは1906年からであり現在の「長岡まつり」という名称になったのは1951年のことである。


「メッセージ花火」
個人が資金を出し、家族や恋人、恩師などへのメッセージを添えて花火を打ち上げる。
新潟県内では片貝まつりなどに見られる手法。


(ウィキペディアより)



「復興祈願花火 フェニックス」はユーストリームで見れます。↓
http://www.ustream.tv/recorded/8690967/highlight/100928


ぜひ、PCのモニター画面をフルスクリーンにしてご覧ください。迫力満点です!!