安藤美妃関係の記事で気になったことがあった。
安藤美姫は「元気で意欲もある」 関係者が一部報道に不快感-Livedoor スポーツという記事になっています。
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フィギュアスケートの元世界女王・安藤美姫(25)のフェイスブックが19日、更新され、一部報道に不快感を示している。
契約満了のため、1月1日付で所属先のトヨタ自動車を退社した安藤。この日一部で、結婚も噂されたニコライ・モロゾフ氏(37)との師弟関係の解消、退社、日本スケート連盟の特別強化選手から外れた経緯などが報じられたが、フェイスブックの管理者は「またまた本日、“破局”だの“傷心”だの“捨てる”だのという表現を意図的に使った記事が出ているようです」と苦々しく感じている様子。
管理者は「本人に会っていますから、よく知っています。元気ですし、意欲もありますし、(恋もコーチも所属先も)捨てたのではなく、筋を通しただけです」と本人の様子を伝えた。「これは安藤本人の書き込みではありません」と注意書きをしている。
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有名人にもなると、ある事ない事取りざたされて大変そうであるが、今日僕が気になったのはそこではない。
気になったのは
「筋を通す」という表現の部分。
大辞泉によれば「首尾を一貫させる。また、道理にかなうようにする。」
となっている。
ということは、「これが正しい」というものを先にハッキリした形で持っているということになる。
その価値観をもって「筋」を通すか通さないかという事が決まっていくことになる。
でも、これが、世代を跨いでいたら、外国人であれば、宗教が違ったならば。
またちがう「道理」というものが生まれてくるのであろうか。
また違う「筋」というものがあるのであろうか。
もしそうであれば,
「筋」とは水のように、形を変えていくもので、1つの決まったものではないのであろうか。
そんなことをふと考えさせられた。