最終回は、予想もしなかった展開ではありましたが、しかし、だれもが望んでいた展開かもしれません。久々に面白いを実感した感動的なドラマでした。泣かせていただきました。ありがとうございました。
この番組はTBSにつきTBS系列がない秋田ではリアル時間帯での放送はないかもしれません。少しだけ、ネタバレですみません。
こんないい話にケチをつけるつもりは毛頭ありませんが、ブログネタに一つ。
どうでもいい話ですので、ここからは、読み流しで。
番組の最後の方で、警察庁次長のお兄様が、事件の影響を受けて、警察庁次長から秋田県警本部長への異動となりました。
この点につきましては、
まず第1点目ですが、
中央から地方に左遷という意味で非常に分かりやすい構図ではありますが、地方に飛ばされる、というイメージ像の代表格が秋田だという点が、秋田出身の私にとってはなんともいえない感じがしました。何故秋田県警なのかよくわかりません。
もっとも、政争だらけで人間の憎悪と嫉妬が渦巻いている汚い都会組織から純真無垢潔白のきれいな秋田へという意味であれば、少し納得です。
最後はお兄さまも正義の人だったので、秋田はお似合いかもしれません。ありがとーお兄さま。
ここで、元国家公務員の私、長らく人事制度に携わっていましたので、この人事はありえない人事であります。本人が降格を申し出れば別ですが、数段階、落ちすぎです。
潔いといえば、潔すぎますけどね。
人事異動の話になりましたが、この7月という時期は、国家公務員の主要省庁の異動時期になります。私の古巣でも既に異動内示がされているようですが、人事異動はそれぞれ悲喜こもごもです。
引き上げられた人は喜びますし、そうでない人は落ち込みます。
毎年この時期の風物詩として何十年と見てまいりました。
上のポストは数に限りがありますので、同期が全員そろって上に行けるわけでもなく、1つ上の先輩が行ったからと言ってそのあとに1年後に自分が行けるとは限りません。順番どころか、ときには後輩に先を越されることもあります。
また、同じような実力を持っていても、実力以上に評価される人もいますし、実力以下にしか評価されない人もいますので明暗は分かれてしまいます。
層の厚い年次はいくら優秀であっても上に行くことが狭き門になりますが、
層の薄い年次は、どうでもいいような凡庸な人でも上に上がることができます。
時の運も多分にあります。別に国家公務員に限ったことではありませんが。
不遇な人は必ずいるのです。
そういった人へ、この言葉を贈ります。
君子は憂(うれ)えず懼(おそ)れず
[口語訳]
司馬牛が君子とはどんな人かをたずねた。
子曰く、「君子とは、心配したり、恐れたりしない(人のことである)」と。
司馬牛ががさらにたずねた、
「恐れたり心配したりしなければ、それだけで君子といえるのですか」
子曰く、「自分で反省してみて、良心にとがめる点がなかったら、
いったい何を心配し、何を恐れることがあろうか。
(心にやましさのない人が君子なのだ)」と。
(『論語』・旺文社)
以下、東洋経済からの引用です
『君子は憂へず懼(おそ)れず。』
これは孔子による「大人物」の定義である。諸子百家の中でも、能力のわりに不遇で終わった孔子のすばらしさは、群を抜いた〝定義の小気味良さ〞だ。
大人物とは、「窮地にあってもまったく動じない人物のこと」である。春秋戦国時代のさなかに、多くの栄枯盛衰・盛者必衰を目の当たりにしながら、不遇の自分の人生を自省して行きついた境地なのだろう。
今を時めく大谷翔平選手も「イラッとしたら負けですから」とつねに言い聞かせているという。〝不動の心〞を持っているのだろう。(東洋経済オンライン 田村耕太郎)
皆様、人は人それぞれです。他人と比べる必要はありません。比べるだけ損です。
今は苦境に陥っていても、動揺することなく、心を落ち着かせ、自分の道を信じて進んでいきましょう。
必ずや道は開けると思います。
オリーブの木 (表紙はフルーツの木)
以上です。
皆様、へばな。