父子3代天皇賞制覇を達成した芦毛の名馬が死んだ。


今日の午後5時15分。心不全のため(19歳)




一番有名なレースは91年秋の天皇賞。


1着入線18着降着だろう。


このレースは、プレクラスニーが勝ち2着がカリブソングだった。


この2頭にマックイーンのBOX(当時はそんな言葉はなかったが)

を買っていたので馬券も取った。




でも、個人的に一番印象に残っているのは



菊花賞



同期には皐月賞馬ハクタイセイやダービー馬アイネスフウジン


菊花賞にでていたのは、ホワイトストーンやアズマイースト。



また、この年のメジロはライアンがいた。


同じメジロの冠だが、馬主はマックイーンはメジロ商事で

ライアンはメジロ牧場。


メジロ牧場の方が王道的な見方も一部(スポーツ紙など)にはあった。



このレースでマックイーンは4番人気。


21戦し1番人気じゃなかったのは、このレースと新馬戦、

それとトウカイテイオーが1番人気の92年春天の3戦だけ。


菊花賞までのステップがクラシック路線からの王道である

セントライトや京都新聞杯ではなく嵐山ステークス(1500万下)の

影響が大きかったのと、ライアンの存在が影響(メジロ商事の影響も?)


このレースを勝つまでのマックイーンははっきりいって



ライアンの脇役



ジョッキーもデビューから3戦は村本。

その後、菊花賞までの5戦は内田浩一。


ジョッキーもB級



それが、この菊花賞を勝って主役となり

その後、引退までの13戦は天下の武豊が手綱を取ることに。



まさしく、実力で勝ち取った主役の座



また、このレースではメジロデュレンとの兄弟制覇も。



ある時、武が言っていた。(正確ではないが)


「マックイーンはステイヤーのように言われるが、

スピードも相当なもの。スプリンターズでも勝てる」


というようなことを。



この言葉を聞き「距離不問」「道悪得意」のマックイーンは



無敵!



という印象を持った。


それから十数年たった今でもそうだが、個人的に強い馬というのは


「馬場がよければ・・・」とか「距離が・・・」とか「展開が・・・」とか


いろんな条件を敗因にあげるようなうまではなく、



「どんな条件でも問答無用の強さを発揮する馬」



マックイーンはまさしくそういう馬に思えた。



91年秋の天皇賞も、同じメンバーで10回走っても

勝つのはマックイーンだっただろう。



通算成績 21戦12勝(GⅠ4勝)

習得賞金 99,810万


父 メジロティターン  母メジロオーロラ(リマンド)