星月夜虹霓綺譚
四十九.五 《 向こう岸のコボレ話〜(カラァ)の……平安妄想劇場 諸々補足編 冥界とか、冥府とかぁ〜…… 》
こちらをご笑読の皆様、長らく無断欠稿の上、不定期でポチりポチりしております平安でございます。
yuz様のご温情によりポチリポチリと思い出したようにUPさせて頂いております。ありがとうございます。
さて、今回は遅れついでに今回のお話の一つの舞台となっております「冥府」について様々なコボレ話とムリヤリ平安設定を少しばかり呟かせて頂ければ幸いです。
死後の世界ーーーー人が文化文明、精神世界というものを持って以来の悩ましき「その後」ではございますが…(動物その他にはそれがないからこそ弱肉強食も共食いも成り立つ)古今東西それはざまざまな言葉で表されています。
冥府、冥土、黄泉、常世、あの世、冥界、天国、地獄、アアル、ヘルヘイム、トゥオネラ等々……
その描写も何処かしら似通った物を感じさせます。
日本神話において「根の国」とも称される様に暗く陰鬱な地下世界であったり、そこへ辿り着き越えて行く為には坂、洞、窟、川、橋などの境界を持って隔てられる別次元の世界です。
黄泉平坂 ハディスの穴、ツゥオネラ川、三途の川、忘河、ステュクス、奈何橋、チンワト橋などなど。
東アジア圏の括りによって中華神話と日本神話は相互に関係性のあるものを発信しています。
中華神話では道教などの成立とも並行して泰山府君の管轄だったりもしますが…忘河、奈何橋、孟婆に孟婆湯なんかは有名処ではないでしょうか?
冥界の麓には忘河という一本の河が流れそこには奈何橋という橋がかかる。橋の袂には一人の女性が待ち構えており、彼女の差し出す孟婆湯を飲み今世の記憶を全て消し去ってしまわなければ来世に繋がる忘河、奈何橋を渡る事は出来ないのです。
ただこれが日本の神話説話になって来るともう少しばかり緩いお話になったりします。
川は三途の川。
この「三途」とは「前世、現世、来世」とも「飢餓道、畜生道、地獄道」の三つの瀬の深さとも(故に三途≒三瀬とも)言われますが、う〜ん…橋のイメージはそれ程ないのかな?どちらかと言えば六文銭の渡河賃を渡して舟、船で渡る姿の方が容易に想像できます。
日本人の方が意外に現実的?「地獄の沙汰も金次第」ではなくて「渡河の方法も金次第(笑)」渡し賃がなかったらその深みに足を掬われながら自力で渡るしか⁈なかったりするのかな〜、南無阿弥陀仏……。
その上実は、平安期頃まではこの渡守も常駐ではなかった模様。
何とこの三途の川男性が女性を背負って渡らなければならなかったんですって!
それもそれも…ちょっと奥様さまサマ(ヾノ・∀・`)。
女性は「初めてイタシタ男性」の背に負われて川を渡るんですって!
何だか、な……………えっと、ここは…初恋とか運命とか、純愛とか…と言っておくべきなのでしょうか?………う…ん……んン?
なので、平安期前後にはこの通説を知っていればこその和歌や描写が度々あります。
某公共放送で放映中の「光る君へ」にご出演中の藤原道綱さん。「蜻蛉日記」の作者の息子さんでもありますが、その蜻蛉日記の中で彼(道綱さん)が恋人と交わした和歌が取り沙汰されています(ん?息子のラブレターを母様がご覧じられてる上に日記に転記して1000年も暴露大会⁈)。
ま、仔細は目を瞑って、私達もその和歌にお目通りさせていただきましょう。
こちら↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
道綱)みつせ川 浅さのほども知られじと 思ひしわれや まづ渡りなむ
〈あの世にあると言う三瀬(三途の)川。どんな物かも知らず不安だったがまさかたった一人で渡る事になるとは〉
女君)みつせ川 われより先に渡りなば みぎはにわぶる 身とやなりなむ
〈あの三瀬(三途の)川。私を置いて渡って(亡くなって)しまわれたら、私は此方岸でたった一人途方に暮れてしまいます〉
てね。
大病に遭ってちょっと気弱になった道綱さん。
ロマンティクなリップサービスも兼ねて
君と共に渡るはずだった三途の川、まさか僕ちゃん一人で渡る事になるなんて…
と嘆いてあります。
で、返しをする女性も
ウッソでしょー!あーた先に行ったら私どうしたらいいねん⁈
と、と……
スミマセン、その後どうなったかは平安存じません。…ご容赦くださいませ。
他にもご本尊「源氏物語・第31帖(真木柱)」の中では源氏の君は養女玉鬘の君へこう語りかけます。
おりたちて 汲みは見ねども 渡り川
人の瀬とはた 契らざりしを
〈共に渡河を誓った仲ではないかも知れないけれどそれでも、他の男に背負われて渡るなど、それこそ思ってもなかった事です〉
まあ、源氏の君も美しき玉鬘の君を養女にしたものの、義父としての気持ちと男性としての気持ちとに揺れ動く中で突然髭黒の右大将なるコワモテの男に掠め取られたのであります…………オット、スコシ口ガ悪イデスネ…。光源氏一代記の中にあっては、ま、彼は世の女性は皆自分のもの⁈的にお忙しい方ではありますのでねぇε-(´∀`; )。
でもって憎からず思っていた玉鬘の君だって、まさか私だってこんな事になるなんて思いもしなかったわ。こんな事になったならいっその事渡河の前に露になって消えてしまいたい…なんて泣き崩れ、源氏の君も言葉に詰まって「まあまあ、そんなに嘆かないで。どうしてもと言うなら手ぐらい引いてあげるから、ね……などとノタマッテます。
源氏物語………………奥が深い…
平安後期の作品「とりかへばや物語」にもそんな男女の渡河物語に託した歌のやりとりがあります。
我為に 縁深ければ 三瀬川 後の逢瀬も 誰か尋ねむ
はい、四十八《 激愛 》の最後に記させていただきました歌はこれをほぼパクで頂いておりますネ。
意訳としては
〈私にとって深い縁であるからこそのあなたとの出会い。この三途の川を前に私以外の誰があなたを背負って渡りましょうか?〉
てなくらいでどうでしょうか?
やがて日本の三途の川には常駐の渡守さんが現れて、皆様心おきなく冥土へ向けて旅立って行かれる様になるのです。
で、もう一度道教的中華神話を覗くと、そこには冥府の門守として孟婆が鎮座し、丹精込めて作った猛婆湯を差し出します。この世の五味八味を詰め込んだ孟婆湯を飲んで、綺麗さっぱり今世の垢と記憶を拭い落とした人々は奈何橋を渡り新しい来世へ悠々と生まれ変わる、という仕組みです。
ただ、どこにでも例外はあるもの。強い気持ちで今世を忘れたくない者、今世と同じ人生を歩みたい者、今世の恋人と再び見(まみ)えたい者。そんな人は猛婆湯を飲むの事を拒否し、橋を渡るのを諦めて忘河に飛び込むのだそうです。
孟婆もそれ程の決意を否定する事は出来ません。なので孟婆はそんな者の身体に印を一つ入れます。
あなたがその願いの通りに思い描く人と巡り会えます様に…と願いを込めて。
それは俗に「笑窪(えくぼ)の伝説」とも言って、その両頬に浮かぶえくぼであったり、首の後ろに密やかに息づくほくろであったりするそうです。
孟婆に約束の印を施され忘河に身を委ねた彼、彼女は地獄の業火にも比類される河の汚濁と1000年を超えるかと思われる辛苦のど真ん中で生に対する思いを試されます。
もしかしたらそこには、自分の事などとうの昔に忘れ果てた想い人が何度も橋を渡るのを苦しみに喘ぎながら見上げなければならないかもしれません。
それでも、そんな現実を突きつけられても折れない執念(←イヤ、モウ執念デショウ)があればめでたく川を渡りきり、来世の彼彼女を横目に見ながら巡り会う運命を確信して、無事次の生を目指せるのだそうです。
あなたの両頬には美しい愛らしいえくぼがありませんか?
あなたの後ろ姿、その髪に隠れる様に一つのほくろが刻印されてはありませんか?
もしかしたらそれは、あなたが前世の恋人を想って印した約束の証しなのかもしれません。
又はあなたの彼彼女にそんな印を見つけたならば………あなたは、彼が探し続けて漸く辿り着いた、そんな宿命の相手なのかもしれません、ネ………。
そんなこんなな、あの世における死出の旅路の物語。
ぜーんぶ一緒くたにしてごった煮にして美味しいとこだけチョイスした上に平安味に改変した…、それが今回の冥府譚の顛末でございます。
ご容赦くださいませ。
ついでに申しませば、今回上記の和歌各種をネタバレさせていただきましたが、時折こうして和歌や万葉歌、漢詩等を差し挟みながら(平安が)楽しませていただいております。
ただ、なかなか素養のない平安がほぼ雰囲気でチョイスしたそれぞれでありまして………現代語に訳す時、そのココロをどう訳すべきか……笑ってやってください。
今回の「星月夜……」に時折挟む漢詩は中国戦国時成立の『楚辞』の中「九歌」から採っています。この「九歌」は11編の古歌から成っているのですが、そのほとんどが(恐らく)楚辞作成者(に擬せられる)屈原の生地である南方楚国を辿る故事風俗、立国の祖先神を讃え祀る祝詞(のりと)的歌詞となっています。表題も「東皇太一」「雲中君」「湘君」「湘夫人」「大司命」「少司命「東君」「河伯」「山鬼」「国殤(こくしよう)」「礼魂」。
お解りになりましたでしょうか?
そうなんです「大司命」「小司命」を標榜する歌詞があるのです!
これを使わない手はありませんでせうッッ‼️
この漢詩歌を織り込みながら司命さん方の物語を紡げたら、どんなに素敵か!
喜び勇んで書き描き、ぽちポチ…。
…………………………………………………………………………_| ̄|○ゲキチン………_(┐「ε:)_ゲキチン。
平安がぁ〜、漢詩の素養がぁぁ〜〜、授業でぇ〜、習った以上のモノがなかった事を失念致しておりました。
もうさ、学校の漢文の授業で習っただけのものだから!
光陰矢の如し
とか
虞や虞や、汝を如何せん
とか
子曰くぅ〜…
で終了してしまうのだ。
この「大司命」も「少司命」もガッコで習ってなんかないし、ないし!でも、でも、でも頑張って、頑張って、読んでぇー、みてぇーー…ーッッーー………
読めないのだ。まず、書き下し文、訓読文にならない。
………せめて返り点ください。
レ点とか、一二点とか上下点とか、作った人、まじ偉いッッッ‼️
てな感じで、四苦八苦しながらどうにかこうにか読んで、読んで、訳して、訳して、はてな???をいっぱい作りながら形にした漢詩をつなぎ合わせ、再びいいとこ取りしながら描き繋いでいる次第です。
少し長くなりましたね。
もしよろしければ、次回「大司命」「小司命」の全文をお伝えしてみたいと思います。
あしからず……