中国の妓女たちには有名な人たちがおり、今回はこちらの方々を紹介させていただきます。
〇薛涛
字洪度、彼女の父 薛郧は小吏(←身分の低い役人)で、唐代・安史の乱頃の人、享年65歳
彼女は白居易、牛僧儒、令狐楚、裴庆、张籍、杜牧、刘禹锡、张祜等などと漢詩を交わし交流があったそうです。
(人生)
彼女は博学で、8歳の時に父が梧桐(青桐という植物)について吟じるように命じられると見事な詩を作ったそうです。
彼女が14歳の時父が亡くなり、母 裴氏と助け合って生きていくこととなります。生活の為に彼女の秀でている音曲と詩の才能を披露するうちに、次第に人々は彼女を”詩技”と呼ぶようになります。
唐徳宗の時代にその才能を認めれらて成都にある著名な营伎(宴席などを盛り上げる妓女)に任じられます。
一年後、韋皐は彼女を懐かしみ、朝廷に願い出て彼女を”女校書”(←所謂学校かな)を担当させ、彼女は”掃眉才子”と呼ばれるようになります。
(恋愛)
彼女は42歳の時、11歳年下の元稹に恋をし、当時 监察御史であった元稹と蜀で一年共に暮らします。
晩年、彼女は道士のような姿をし、詩歌を創らず20年ほどひっそりと暮らし、65歳で世を去る事となります。
彼女が亡くなった後、当時 剑南节度使であった文昌は自ら”西川女校书薛涛洪度の墓”との墓標を書したそうです。