今回は「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ(以下KOM)」を鑑賞してまいりましたので、その感想をUPしていこうかなと思います。

 まぁねやっぱりいつものようにネタバレしながらの感想になりますので、見る予定の方は、また見てから読んでください。

 

 と言うわけで「ゴジラ」ですけど、僕は戦隊とか仮面ライダーとかウルトラマンとか、特撮は好きです。大好物です。でもね、こと「怪獣特撮」となると、実はあんまり熱狂できてなくて。

 一番最初に見たゴジラ映画、記憶の中で幼稚園の頃、友達の家で「ゴジラVSデストロイア」を見たのが薄く記憶にある。その後ちゃんと見たのは、ハリウッドで一度目のゴジラ、ローランド・エメリッヒ版、エメゴジラを見たんですよ。

 これ世間的には駄作。ゴジラのデザインがダメとか散々な言われようですが、僕はこのエメゴジは何故かおもちゃを持っていて、しかも大変楽しんだんですよ。

 だからことゴジラに関しては人から理解されにくい出会いをしていてね笑

 

 そうそう関係ないけど「ガメラ3 イリス覚醒」とかは大好きですよ。あの京都駅の階段がぶっ飛ぶシーン。あのJRの正面改札のところで方腕がもげてからの、炎のパンチとか、うん。イリス覚醒はめちゃ好きです。仲間由紀恵がミイラになって死んでるとことか笑

 

 ちなみにちゃんと「傑作だ」と思えたのはやはり「シン・ゴジラ」ですね。そこから追って初代ゴジラを見たとか、本当にゴジラに関してはその程度の、まぁ「ゴジラ弱者」と言うやつですよ。

 

 そんなゴジラ弱者の僕でも、キモの部分というのは弁えているつもりです。

 その「キモ」の部分という点を切り口に今回は論じていこうかなと思います。

 

 そもそもゴジラとは何か?

 一つは「核兵器の負の側面のメタファー」「恐怖・畏怖の対象」であるということ。

 もう一つが「結果、日本を他の怪獣から守ってくれる守護神的な存在」僕は大きくこの二つだと思っていて。

 

 まずは「核兵器の負の側面のメタファー」「畏怖・恐怖の対象」という点。これが顕著に現れているのが、やはり初代1954年版ゴジラ、そして「シン・ゴジラ」ですね。

「ゴジラ 54」の画像検索結果

 「初代ゴジラ」これは、アメリカによる広島・長崎での原爆投下の悲惨な記憶。戦時中の辛い記憶が生々しく残っている時期に生まれた作品で。原爆投下後も続く米ソの列強国による核開発競争に対する非難の意味合いの強い作品である。

 ゴジラは「人間が生み出したコントロール不能の力」つまり核兵器によって目覚め、自らも体から放射能を吐き出し、日本を蹂躙する。その如何しようともない圧倒的な力の前に人間はただ逃げ惑うことしかできない、核兵器の恐怖にゴジラという体を与え、ひたすらにゴジラに破壊される東京。

 当時このゴジラ一作目を見た人は、太平洋戦争の記憶を生々しく蘇らせたに違いない。

 僕は当然その記憶はあるわけもないのだが、作中のラジオでゴジラによる被害を告げるアナウンス。そのアナウンスが太平洋戦争中の大本営発表を彷彿とさせられたり、おそらく大空襲を意識してエキストラに演じさせているのであろう、実際に地獄を体験しているからであろう、逃げる人々の切迫さ。このゴジラ一作目を見て「大人」が恐怖で涙したのも頷ける。

 

 まぁ見ててテレビのアナウンサーがゴジラが近づいているのに逃げずに実況を続けて「さぁ我々ももう終わりの時です」とか実況している演出とかもどうかと思うし。

 オキシジェン・デストロイアを使うシーン、あんなマスコミ連れ立って行ったり、そもそもオフィシャルな感じでやっちゃダメでしょ芹沢さん。あれはせっかく主人公が船を使える人なんだから二人で行くとかにしなよ。

 とか言いたいこともあるんだけど、でも当時の人間、僕ですらも、「怖いと感じるゴジラ」をしっかり描けているのは過ごいと思うんですね。

 

 そしてこの路線を現代に蘇らせた、ゴジラの現代的リメイクとも言える「シン・ゴジラ」

「シンゴジラ」の画像検索結果 

 僕はやっぱりこれは大傑作だったと思います。

 東日本震災での津波被害、原発事故。それらの生々しい記憶を抉るように繰り返されるゴジラによる蹂躙。

 まぁ「シン・ゴジラ」について語ると時間がかかるので今回は割愛しますね笑

 

 まぁとりあえずここまでがゴジラのネガティブな面を重視した作品で、これはやはり、ゴジラの大きなキモ、むしろゴジラのメインテーマですね。

 

 しかし、ゴジラはその後どうなったかというと、シリーズ化され、他の怪獣といわゆるプロレスする。いわゆるバトル物路線に変化して行ったと。

 これがもう一つのキモである「結果、日本を他の怪獣から守ってくれる守護神的な存在」であるということから逃れられなくなる。簡単にいうと、どんどんゴジラは日本に来る敵怪獣から結果日本を守る、ポジティブな存在に変化していった。

 その上でモスラ、キングギドラなど魅力的な怪獣も増えたのだが、結果どんどん子供向けになった。しかし、これはこれでヒーロー物的な側面もあり、それが悪いとは言わない。

「ゴジラ シェー」の画像検索結果 

(こんな「シェーポーズ」とらせてギャグさせたり、これはもうひどい)

 これに似たようなことが「貞子」とかJホラーキャラにも起こっていて、シリーズが進むにつれ最初怖かったものが「キャラ立ち」して「怖くなくなる」そしていつしか半笑いの対象になる。

 

 だから「シン・ゴジラ」は逆にシリーズ化され、子供向けになってしまったゴジラを元の方向に舵を切ってしまった、リセット的な側面もあったと言える。

 

 この二つのキモを抑えてKOMを、というより2014年から始まったレジェンダリー主導の「モンスターバース」世界におけるゴジラという扱いを考えると。

 僕はこのレジェンダリー主導の「ゴジラ」は「モンスターユニバース」の設定が示す通り、ゴジラの負の側面を描く路線ではなく、ポジティブな要素をメインに据えているのは明らかである。

 僕は今回のKOMを含めて、レジェンダリーゴジラが「負の側面を描いていない」と批判されているのは理解はする、でもゴジラという作品を作る上で何を大切にするのか。今回の路線は明らかにポジティブな要素を重視して描こうとしている。

 当然それは当たり前で、この「モンスターバース」というのは、色々な有名な怪獣をコラボさせて戦わせるという企画だ。

 この世界観には「キングコング」も生息していて、2020年にはいよいよ「ゴジラ対キングコング」が公開予定。

 それを思うと、僕はあまりこの負の側面が描かれてないと批判はしたくはない。

 

 むしろ今作品。ゴジラとキングギドラ、モスラ、ラドン。それらの怪獣がスクリーン狭しと戦う姿。潤沢なハリウッドの予算・技術でみたいでしょ? っていう作り手の思いが今回は、良くも悪くもあふれていたと思う。

 今回の話、簡単にいうと、すごく過激な環境テロリストが「人間を怪獣に滅させて、地球をリセットするんだ」と主張し、怪獣を目覚めさせることのできるアイテムを奪う。普通なら正義側の人間がそれを阻止するためにそのアイテムを取り戻すために右往左往する、しかし怪獣が目覚めてしまう・・・

 的な話にすると思うんです。普通ね。

 でも今回は正義側、モナーク側ですね。リーダーである渡辺謙演じる芹沢博士は国連で「怪獣が世界を支配してこそ、地球はバランスが保たれる」「人間はゴジラのペットになる」と主張している。

 つまり、これ結局どちらの勢力が勝っても結果、怪獣が目覚めてバトルするのは必要なことと描かれている。

 つまり作り手、物語内のキャラ、観客。全てが「怪獣バトル」を見たいと望んでいて、結果、普通の映画文法・物語文法では考えられない物語運びが展開される。

 なんか味方っぽく見えてる連中。あいつらも結局怪獣の天下になることは容認してるからな笑

 

 つまり全てが怪獣バトルをするための映画になってしまっているんですよ、この映画。

 

 だからバトルシーンはどれもはっきり言ってアガります。超有名な「ゴジラのテーマ」で登場するゴジラ。「モスラのテーマ」で登場するモスラ。なぜか念仏アレンジの「キングギドラ」の登場BGM。

 

(この音楽が流れないゴジラはゴジラではない。まぁそれは確かにね、よくわからん「ゴジラ」って合の手入ってるけど笑)

(モスラのテーマのこの古代の壮大なイメージとか超いいアレンジでしょ?)

 

(どこからか連れてきた僧侶によるアレンジシーン)

 

 ここはもう物語がどれほどむちゃくちゃでも上がるし、ラドンの「媚び売り」っぷりとか、モスラがまじ奥ゆかしく、そしてただただいい奴感。キングギドラも三つの頭がそれぞれに感情を持っていて、漫才みたいなことしたり。

 とにかく怪獣がすごく擬人化されていて、すごく可愛く見えるんです。

 そうそう、今作の監督がされた「ゴジラのテーマが流れないものはゴジラではない」という指摘通り、随所にゴジラのメロディーを使用していて、なるほど確かにそれはそうだなぁって気づかされたり。BGMの使い方がとにかくよかったと思います。

  

 そしてそいつらが地球の覇権を巡り戦うクライマックス。「あぁラドンが」「モスラが」と息をつかせぬ展開。キングギドラとゴジラの激闘。そしてその裏で繰り広げられる変な人間ドラマ。

 お母さん。マジでやってること最低だし、今更感情移入できないってレベルのクズっぷりを見せてるのに、急に自分を犠牲にしようとするけど、ぶっちゃけキングギドラに食われて死ねって思ったしね。

 本当に人間ドラマは少々難ありというか、なんかもう本当にすごいの。

 

 あと今回、「これをこうしたらこうなるし、他の案を」的な展開、怪獣を起こす云々のとこと、芹沢ゴジラ起こすってよってとこ、どちらももう少し議論しても良いのでは? と思うけど、丁寧にどちらも「時間がないし早く実行」ってキチンとセリフで言わせてるあたり、マジでこの映画は怪獣のバトル以外描く気がないなって感心させられました。

 ここまで割り切るならえらい。

 ちなみに芹沢博士。初代ゴジラでは、ゴジラを自己犠牲により殺す男が、今作では逆に自己犠牲でゴジラを生き返らせるというのは、まぁそこはいいアイデアだと思いましたし、神に核という貢ぎ物を持ち階段を上がるシーン、そしてそこに待ち受けるゴジラってものすごく神話っぽい展開とか、すごく絵として美しく描けててよかった。でも核をポジティブに描いていて、それは僕の好きなゴジラ像からすると、首をひねるというか。そこはやはり良くも悪くもハリウッドだなと思わされましたね。

 

 まぁこの映画、とにかくストーリーがひどいのはこれは、擁護・否定派どちらもそう感じると思います。

 僕も真面目な話、なんじゃこりゃ、ひでぇって思ってます。そして僕はゴジラに求めるのは、そして好きなのは「ネガティブ」なところで展開する物語なんだなぁって気づきました。

 最後ゴジラが地球最強の怪獣として君臨して、文字通りの「キング・オブ・モンスター」になる。ゴジラが戦った跡地では草木が芽吹き、絶滅危惧種の動物が繁殖するなど、ゴジラが完全にすごくポジティブに描かれる。もともと放射能撒き散らして環境を破壊するというネガティブ要素を持っていたゴジラをここまで、環境をよくする存在として描くのは違和感はある。

 まぁでもゴジラにある二つのキモのどちらかを重視して作るかという点から考えると、この結論もまぁ許せるかなって思ってます。

 ネガティブな要素を見たければ54年初期ゴジラ、「シン・ゴジラ」という傑作があるし、それを見ればいい。僕はこのレジェンダリーゴジラはまぁこの怪獣プロレス路線を、これはこれとして楽しもうかなって思ってます。

 

 だからこそ「怪獣プロレス路線」「バトル物」になったゴジラが好きな方は間違いなくおすすめ。

 ネガティブ面が好きな人にもとりあえず見て欲しいです。やっぱりバトルシーンすごいし、それを大スクリーンで見るのには価値があると思います。

 まぁね、ここまでバカ映画路線に振り切ってもらえると、僕は「ゴジラ」のキモはネガティブ面派ですけど、これはこれで、楽しめたかなぁ。

 とりあえず来年の「ゴジラ対キングコング」見に行こうと思ってますし、まぁ大画面で迫力満点のバトルは楽しめたし、まぁ満足できたかなぁ。

 これからどういうふうな物語にして世界観を広げるのかそこは本当に気になってます。

 あと「モスラ」ソロで一本映画作ってください。