Yuhです\(^o^)/






ヨシモリポイントへ来ました。


ここの慰霊碑を管理している マリアゴレティさん。





ヨシモリポイントの説明が書かれた紙を見せてくれました。↓



ヨシモリ戦争記念碑について

「ヨシモリ」とは、第二次世界大戦時にエスペランス岬からの退去時にこの浜で亡くなった戦没者に由来してつけられた。

この記念碑を管理しているマリア・ゴレティさんによる説明が以下である。
(英文の日本語訳)

1995年、イネナガ カツミさんが私を訪ねて来た。
彼が15年前に撮影した私の写真を見せ、その場所を尋ねた。
その写真は15年前の遺骨収集時の慰霊祭を撮影したものだった。
その場所は、この村の現在記念碑が建っている場所の道路を挟んだ反対側の森の中だった。
私が案内すると、その後イネナガさんは団体でその場所を訪れ、記念碑を設置した。
それ以来イネナガさんの団体は毎年訪れ慰霊祭を行った。

1998年から200年の間は、内戦(エスニック・テンション:ガダルカナル州とマライタ州の戦い)のため、村人もいなくなり放置された。
その内戦時に、私の家も燃やされた時、記念碑も壊された。

内戦終了時、イネナガさんはヨシモリさんの遺族と共に再び訪れた。
そしてより安全な現在の場所に記念碑を移動した。
そして、これがイネナガさんの最後の訪問となった。

それ以来、この場所は「ヨシモリポイント」と名づけられ、記念碑は「ヨシモリ戦争記念碑」と呼ばれるようになった。

当初、私は訪れる日本人に関心が無かったが、その様子を見ているうちに、友人である日本人にとってこの記念碑がいかに重要であるかを悟った。
2005年、私と私の夫は、両親・親戚一同の同意を得て、この記念碑にささやかな修繕工事を行った。
現在は、まだきちんとしたものと言い難いが、今後よりきちんとしたものにしたい。


マリア・ゴレティとその家族から日本の友人へ
わたしたちは、いつでも慰霊と観光であなたがたの訪問を歓迎しています。

                マリア・ゴレティ・マレネオ







マリアゴレティさんが歌を歌ってくれました。
3曲くらい。


私一人の為に、なんかめっちゃ嬉しかったです♪

ここでも後でお金没収されるんやろなぁと思うと、心から歓迎して歌ってくれてるのか、ビジネスなのか…(笑)

そんなこと考えながら聞いてました(笑)


2人は夫婦らしいです。
年齢差ありすぎなような??







子供達はずっと並んで座ってて可愛い♡


右から二番目の男の子に「ヨシモリ」と名付けたそうです!!




これが慰霊碑です。
言われないと気付かないです(・д・)

日本人の骨が出てきました(・д・)

写真載せていいのかな?

アウシュビッツでは髪の毛や骨は死体の一部だからという理由で、写真撮影自体が禁止になってました(・д・)


メッセージをお願いされて書きました。
いつもこういうのって何書いたらいいかわからなくて、気のきいたこと書けんくてすみませんねぇ(・д・)


あっ、ここでは安定の100ソロモンドル(約2200円)でしたっ!(笑)




ほなっ!







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