約30年の間、私は北千住から日比谷線に乗って通勤している。平成の時代には南千住から三ノ輪に向かう途中、線路わきに簡易宿泊所があった。電車の中から宿泊者が歯を磨いている姿を良く見かけた。ここがいわゆる山谷なんだなぁ…と漠然と眺めていたものだった。

 ところがいつの間にかそうした簡易宿泊所が車窓から見られなくなった。マンションなどに建て替えられているようだった。最近はバックパッカーなど訪日外国人にも人気の場所となっているという。一体かつての山谷はどうなっているのか、気になってぶらりと散歩してきた。

  南千住駅周辺には、江戸時代から明治初期にかけ小塚原刑場があった。罪人の多くがここで処刑された。幕末には吉田松陰などもここで斬首された。南千住駅にはつくばエクスプレス線も連絡しているが、その工事では地中から沢山の人骨が出たという。

  またこの場所は奥州街道・日光街道に沿った地域でもあり、江戸時代から木賃宿が多くあったという。そんな名残か付近には簡易宿泊所の施設が多く、大勢の日雇い労働者がここで生活していた。その日の職を斡旋する「寄せ場」もあった。「ドヤ街」とも呼ばれた。彼らが日本の高度経済成長を底辺で支えたともいえる。

写真―1 泪橋交差点から南千住駅方面を望む

 泪橋は、罪人が小塚原刑場に向かうときに今生の別れを惜しんで涙したという場所。今は川も橋もない。

写真-2 表通りから少し外れたところの簡易宿泊所

 表通りから奥に入ると昔ながらの簡易宿泊所を幾つも見かける。一泊2,200円が相場のようだ。簡易宿泊所を改築してビジネスホテルとして営業しているところも多い。そうしたところを訪日外国人旅行者が利用しているのだろう。

 昔は、昼間から路上で酒を飲んでいる人や酔って寝転んでいる人も見かけたというが、道路にはゴミもない。自転車も整然と並んでいる。昔の荒れた山谷の面影は全くなかった。

写真―3 手荷物預かりのコインロッカー

 手荷物預かりのコインロッカーがあった。簡易宿泊所を生活の拠点としている人たちが、大事な荷物を長期間預けているのだろうか。コインランドリーも兼ねている。

 付近に何軒か立ち飲み屋を見かけた。「勘定前払い」と書かれている。どの店もほぼ満席状態。店の外から窺うに、皆さん高齢化しているようだ。夜になって山谷がどう変わるのか分からないが、随分と大人しい静かな街になっているのかもしれない。 

写真―4 表通りからはスカイツリーが見えた

写真―5 隅田公園付近からの東京スカイツリー

 山谷からも隅田川の畔からも東京スカイツリーが望めた。スカイツリーがあるだけであたりが華やかな風景になる。そこに桜が彩を添えていた。

写真―6 浅草寺境内の賑わい

 浅草寺境内には観光客があふれていた。外国人ツアー客が観光バスで押し寄せる。外人女性の貸衣装による着物姿も多い。人力車も盛況だ。コロナは一体どこに行ったのだろうか。マスク姿がほとんどだが、コロナ前の生活に戻りつつあるようだった。

 静かな山谷と賑やかな浅草寺。印象的な旅だった。

               (2023.4.6 南千住駅~浅草寺まで13,600歩)