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父の命日の8月17日がやってきました

 

 
  

軽い肺炎で入院していた父ですが、治療を終えて、二日後に退院が決まっていた矢先のことでした

その日の夜、私は、暑~い日中、ゴルフを終えて、打ち上げで賑やかなお店にいました      

打ち上げは深夜まで盛り上がり続け 

賑やかなカラオケの宴は時間を忘れて続きます

この時の私は、なんだかいつもの自分ではないような感覚で 

いつもはカラオケでも何でも勧められればノリノリで受けちゃうのですが

周りがいくら盛り上がって騒いでいても、つまらないわけではないのに、誰とも口をききたくなく、お酒も飲みたいと思わないのです

疲れているせいかな、と思うも、自分らしくないことが不思議でなりませんでした

日付変更線を越えたあたりから、その傾向が強くなってきて

午前1時半頃に体がどーっと重くなってそのまま店のソファーで倒れこんでしまいました 

お酒もほとんど飲んでいなかったので、酔っているわけではありません

なぜか周りの喧騒がちっとも気にならないのが不思議です 

自分の体がソファーと一体化しちゃうような感覚ですが、気分が悪いわけではなく、むしろいい気分なのです 

テーブルに置いてある携帯電話の音が聞こえた気がしましたが 

ソファーと体が一体化してしまったようで動けません 

なんだかとても心地いい気分でまどろんで、周りの喧騒すら耳に入らずに、そのまま記憶が途絶えました 

周りは煩いし、心地いいはずのないシチュエーションだというのに、、、

後で、私が気持ちよくまどろんでいた時間が父が息を引き取った時間と同時だったと知ることになるのですが

 
  

きっとあの時、私の元に、父が来ていたに違いありません 

だから、父は、私が感じていたように、とても静かにとても心地よく、天に召さていったのでしょう 

私の携帯電話が電池切れになってしまったため、実際の父の訃報を知ったのは、父が天に召されてから10時間経ってからでした

何が何だかわからないまま、病院に駆けつけ、父と対面 

その顔は、眠っているようにしか見えない穏やかな表情で 

「私はこの世に未練など何もありません、後はよろしく頼みましたよ

そんな父の声が聞こえてきて、私はただ悲しい現実を受け止めて泣くことしかできませんでした 

「まったくパパったら、いつも急なんだから、ズルイよ 」

そんな恨み節など父の耳にはもう届きません 

あの日の夜、神宮外苑の花火が空高くあがり、部屋の窓からぼんやりと眺めながら

 

大きくて、華やかで、力強かった父の生きざまと重ねていました

 

あの日から一年

密葬、社葬を経て、第39回経済界大賞も開催し、創業50周年を迎え、この一年の出来事が走馬灯のように回っています
 
父は天国でおじいさまやおばあちゃまと再会できたかな 

先に旅立った旧い友人や仲間たちと、天下国家を語っているかな  

父が創った経済界は創業50周年を迎え、社員一丸となって前に進んでまいりますよ


 


そして、あなたの娘であること、あなたの後継者であることを誇りに思います

 
 


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父の新盆を迎えています



お盆はご先祖さまの霊を祀る行事ですが

昨年この世の人でなくなったばかりの父は、あの世的には一年生なので、ご先祖さまというにはあまりに早すぎる気がするのです

とは言っても、毎日父の写真を見ながらお線香をあげているのだから

やっぱりご先祖さまなのでしょうか



  
そもそも父の生涯は波乱に満ちたものでしたし、九死に一生を何度も繰り返した強運の持ち主でした

戦時中、日暮里に住んでいた父たち家族が、秋田に疎開するために、列車に乗り込んだ日のこと

東京大空襲が起きて、父たち家族が住んでいた日暮里あたりは焼け野原に
 




これが父の九死に一生の始まりでした

また、戦争で南方にいっていた父(私の祖父)が敗戦後、胸を患い、若くして亡くなったため

父は、明治学院大学に通いながら、進駐軍のボーイをしたり、エセ占い師になって旅をしながら占いで家計を支えていたのです

函館で仕事を終えて、青森行きのフェリーに乗り込んだ時に

母(私の祖母)に「函館に行ったらスルメを買ってきておくれ」という言葉を思い出して

フェリーから下船してスルメを買いに売店に走ります

売店で、釣銭がなくて、もたもたしているうちに、フェリーは出航してしまいました

翌朝まで出航する船はなかったため、地団太を踏んで悔しがり、待合室でふてくされて寝ているところに

父が乗るはずだった船が沈没したとニュースが舞い込みます

コレが、日本海難史上最大の惨事となった、洞爺丸海難事故です


 
  
その後、51歳の時に脳卒中で倒れ、医者からは命の保障はできないと言われ、泣き崩れる母を横目に

大声で何かを叫び、体中の動くところをバタバタ動かし暴れまくる父の姿を見て

こんなに元気に暴れているのだから、死ぬはずがない、と根拠もなく確信した私

医者からは命の保障はないと言われたのだから、コレも九死に一生のひとつです

父はこの脳卒中から復活してから、生命力を増したようで、ますます強烈なコワモテとして暴れまくりました



強烈度合いが普通ではなかったので、周りは大変でしたが

正忠ワールドを築いて、思うままに時代を駆け抜けた父

あまりに強烈だったので、「正忠の娘」は、どこかの大親分の娘と同格扱いでした

しかし、父ほどピュアな感性を持ち備えた大人を見たことがありません 

オジイチャンになっても、やんちゃ坊主みたいだった父 

言いたい事を言いまくり、やりたいことはなんでもやって

人生に悔いなし 

悔いない人生のために、いったいどれだけの人に迷惑をかけたかはかりしれませんが 

なぜか、父に迷惑をかけられた人たちは、自分と父との不幸話を笑って語るので 

それさえもいい思い出になっているようです 

私も父のように、悔いのない人生を歩き続けよう  

朝の来ない夜はない、のです



 

 
 



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お盆の入りです


 


私の祖父は、父が17歳の時に亡くなっているので会ったことがありません

父亡き後、祖父との思い出を語れる叔母に祖父の話を聞かせてもらいました

逓信省(NTTの前身)のエリート官僚だった祖父・佐藤寛雄は

写真で見る限り、とてもハンサムな紳士です

 

 

寛雄さんが妻に選んだ祖母・らくさんとの間に産まれた長男が父・正忠です

 

佐藤寛雄さん一家は、転勤などで、あちらこちらを転々としたそうですが

大阪の茨木市に在住していた時期が家族全員揃って幸せな時期だった、と父の記述にも残っています

「とても背が高くてかっこよくてねえ、なんたって自慢の父だったの

叔母は懐かしそうに語りはじめました

「毎日父のことを駅まで迎えにいくのが楽しみだったの。電車から降りてきた父が私を見つけたときの嬉しそうな笑顔を見るのが最高に幸せだったわ

叔母がまだ小学校の低学年の頃のことです

貧しかったけれど、素朴で幸せだった頃のこと

一方、父・正忠はこの頃、内気で臆病者の子供だったそうです

「お兄様はね、意気地なしで、勉強も嫌いでデキの悪い長男だったの

そんなデキの悪かった正忠少年が、大きく変わるきっかけになったのが、天王寺商業に進学してからだそうで

吃音の友人をからかっているうちに吃音になってしまった正忠少年は

天王寺商業時代に弁論部に入って、ゆっくり大きな声で節をつけて語る演説の練習を、裏山や河川で日々続けて

弁論大会に出場するなどしたことが、挑戦的な生き方をするきっかけになったのです
 

 

寛雄さんは、昼間は役所に勤めながら、日本大学の夜学を卒業したという努力家でもあります

後日、父を語る上で「努力」という言葉は外せないものとなったのは、寛雄さんの影響そのものです

大東亜戦争に突入した時、寛雄さんは志願してインドネシアのマカッサルに赴任

海軍左官待遇として、マカッサルの電話局長として任務を果たしましたが


 

  
やがて敗戦を迎え、オランダ軍の捕虜となって、やっとの思いで引き上げてきたときは、骨と皮に痩せこけて、やつれ果てたその姿に叔母は涙が止まらなかったそうです

ゆっくり休養もできないままに、家族を養うために仕事に復帰したものの

胸を患い50歳という若さでこの世を去っていった寛雄さん

寛雄さんが最後に長男・正忠に語った言葉は、「正忠、偉い人になろうと思うな、いい人になれ

 父は、生涯、この言葉を大切にしていました

また、もうひとつの遺言、「私が死んだら、尊敬する兄の近くに埋めてくれ」という意思を実現して

寛雄さんの故郷・秋田県大仙市南外村に「佐藤寛雄の墓」を建設


 
  
実はこの墓石の文字は中曽根康弘先生が書いてくださったものです
 

 

父は尊敬する実父に「故郷に錦」を飾って、お墓をプレゼントしたのですね

会ったことがない祖父の、最も幸せだった時代の写真、叔母から見せてもらいました
 

 

私の自慢のおじいさまと、おばあちゃまの若かりし頃の姿です
 
今は天国で仲睦まじく語らっているのでしょうか

寛雄おじいさまの自慢の息子・正忠が創った「経済界」も今年創業50周年

父の意思を後世に伝えていくべく努力してまいります




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