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長年住み慣れた虎ノ門合格

このたび、再開発のために、移転いたしましたひらめき電球




移転先は、赤坂1丁目の三会堂ビルラブラブ


旧いビルなので、この界隈のタクシードライバーなら、ビル名を言えばたいてい迷わずに行ける便利な立地が魅力ですニコニコ


ところで「三会」って何はてなマークということで調べてみましたひらめき電球


明治時代に、農業・林業・水産業の三つの業界に関わる人たちが、国の発展のために力を合わせてがんばろうという思いの元に創設した会ラブラブ


今的にいうと、商工会議所や経団連のような会合です音譜




会の発足の後、赤坂溜池に共同で建てた会堂が「三会堂」しっぽフリフリ


この国の発展を願い、さまざまな会議や情報交換を行った場所だったのですグッド!


何せ明治時代のこと、農業・林業・水産業は、日本の代表的な産業だったわけですから、天下国家を語るリーダーも、これらの業界にいたのでしょう流れ星


この三会堂ですが、その後、関東大震災で崩壊してしまいます。さらには第二次世界大戦の兵火にかかったり、米軍に接収されるなど叫び


時代に翻弄されることになるわけですメラメラ


戦後の昭和33年にようやく米軍の接収が解除され、再建されたのですチョキ




日本という国は、戦争も含めて、過去にも何度も悲惨な崩壊を経験していますが、その度に復興し、発展し続けてきました爆弾


決してあきらめずに復興させていく強靭な底力。これぞ日本の本当の姿なのだ、と誇らしい想いがこのビルからも感じるのですグッド!


国の発展と、国民の豊かな生活を願った、三会のリーダーのひとり、水産王と呼ばれた石垣隈太郎が、自身の私財を寄付し、それを元に再建された、という歴史あるビルですチョキ


現在の三会堂ビルのエントランスには、このビルゆかりの石垣隈太郎翁の銅像が堂々と立って、現代社会ををじっと見つめています目






石垣隈太郎 安政6年(1859)~昭和3年(1928)

安政6年(1859年)伊勢国(三重県)生まれ。明治7年、14歳のときに横浜の三菱会社の給仕として働き始め、後に貨物輸出掛となる。

軍事用品を運ぶ船舶の乗務員となるも、御用船の任務解除とともに、本州北海道の航海で函館港に着岸。

その後三菱会社函館支社勤務を経て、明治22年、独立し。酒、醤油、缶詰、油などの商いと、漁業を運営。遠洋漁業の先駆者でもある。北海道の水産業・漁業開発に貢献した偉人。



さて、虎ノ門から、赤坂1丁目の三会堂ビルへのお引越し音譜




総務のOくんは土日も休まず引越し作業に没頭してくれましたひらめき電球



引越し作業は専門業者に任せるとはいっても、指示する人がいなければ成り立ちませんから、Oくんらの努力によって、無事に引越し終了チョキ



私の机から、全社員の顔が見える配置になり、光の差し込む大きな窓も清々しいべーっだ!



そして、そして、引越しした当日から続々と、引っ越し祝いの花が続々と届き、玄関周りはまるで花屋さんのようになっていますラブラブ!




大きな会議室も、お花だらけでとても華やかドキドキ




父の肖像画から「よう頑張ったな、これからも社会のお役に立てるように頑張りなさい」クラッカー




そんな声が聞こえたような気がしましたニコニコ




旧くて新しい、私たちの新天地、ここから心機一転のスタートですアップ



お近くにお越しの際は、ぜひお立ち寄りください!!








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