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今朝も爽やかでしたね~

我が家から望む西の朝焼け

私の母は約30年前、乳がんで左乳房を全摘しました

今でこそ、ピンクリボン運動などが話題になって、年に一度の検診は当たり前のことになり

万が一乳がんになっても摘出手術同時に再生手術もできるまでに医学も進化しましたが

まだその当時はがん=取る
という発想が普通だったようです
当時、母は、超多忙な夫(父)に振り回されつつ、成人したばかりの長女(私)を筆頭に、高校生の次女、中学生の長男、小学生の三女と、まだ手のかかる子供を抱え、毎日の睡眠時間まで削って一生懸命主婦業をこなしていました

母にとって唯一の楽しみはPTAで仲良くなったママ友とのコミュニケーション

ご近所に住む弟の同級生のママ友が乳がんになり、見舞いに行った際に
「乳首が引きツレてね、だけど別に気にしなかったの。だって痛くもかゆくもないんですもの」
その言葉を聞いて母は自分も、もしや、と、思い切って受診したのがきっかけで乳がん宣告を受けたのです

その日を境に母はよく泣くようになりました

まだ子供も小さい(下が小学生)し、夫は超多忙だから入院などにつき合ってくれるはずもない。どうしたらいいの~
そんな不安と
家族のために一生懸命頑張ってきた私がなぜこんな目に
という怒りもあったでしょう
また女性として乳房摘出はやはり辛い

だってバストは女性を象徴するアクセサリーのようなものですから

いくら嘆いたって運命の日は着々と近づく日々

母は不安と恐怖と怒りを抱えながら入院し、手術に望みました

手術当日、さすがの父も神妙な顔でやってきたのですが、母が目覚める前に仕事に駈け戻っていきました

普通
だったら夫は、病んだ妻が目覚めた時に労いの言葉の一つもかけてあげれば、愛する夫の優しさにほろっとくるものでしょうが、ウチの父はバリバリの仕事人間でしたから仕方ありません
ま、そういう男を選んじゃったんだからこれだって自己責任なのさ

元来男は生々しいモノに弱いらしく、父も医者から摘出したブツ(母の乳)をを見せられた時、
「もういい!」と顔を背けて医者の説明など聞かずに退出しちゃったんです

強面で通っていたくせに意外に小心者な父

退院後、母は辛いリハビリを乗り越え、失った乳房の代わりに下着に分厚いパッドを入れてカモフラージュしていましたが、左胸がないと心臓が直に感じ、やたら熱くて汗をかくんだと言っていました

後期高齢者になった今は体の左右バランスがイマイチだと言いますが、それでも趣味の社交ダンスをしている時が最も幸せな時間です

辛い経験を乗り越えてきたのだから、楽しく幸せな時間をたくさん過ごして長生きしてもらわなくちゃ

病後の両親

母50歳
父56歳の頃 旧軽井沢ゴルフクラブにて経済界のHP ↓
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