気合を入れてシュレッダー
放置していたそのままでは捨てられなかったプリント類
頑張ってシュレッダー
何でこんなに紙だらけ
そして懐かしいもの発見
筑波大学附属小学校の封筒
はい。第一次抽選で敗退組です。試験さえ受ける資格を貰えませんでした。
お茶の水も願書を出しましたがこれまた抽選敗退
その当時仕事をしていたのでそんなに何回も休めず。私立受験もあったので。
願書を取りに行ったのも、出しにいったのも、抽選を見に行ったのも私の母に頼みました。
熊歩き🐻練習したのに出番なし。
そして小受は3勝1敗
第一志望の附属がダメでした。
ここから息子の人生が変わりました。
中受→大学受験を歩むことに。
いつまで試験に落ちたのをひきづっていたか?私がね。
小学校3年生くらいまでですかね〜
小学受験は親の受験なので完全に私の戦略ミスです。
中受は間違った努力をさせないように、色々情報をとったり軌道修正したり頑張ったつもり。
中受は全勝だったけど、小受で落ちた時の痛みはまだありますよ〜結構トラウマ
でも息子は覚えてない
小学受験も全勝だったよねー。
息子の前では決してあの時の落ちた学校を口にしてないし、通っている学校の良いことを刷り込んだから忘れたのかしら?
当時不合格通知をみて泣いていた息子ですが
次の日最後の受験
最後まで頑張ってくるね。
学校の正門で塾の先生も応援にきていて、頷きながら入っていく姿は
とても5歳児には見えなかった。
そんなことを片付け中に思い出しました。
小学校に入り、そのまま習い事感覚で中受塾では
小受の時に一緒だった子と再開
そしてその子のママからは
筑附の最終抽選でダメだったと。
そうこの学校
抽選→試験→抽選
最後の抽選は親が引きます。二分の一の確率
もうかける言葉が見つからない。
お母さんのせいじゃ無いよ。でも悲しいのはわかるよ。
それ以来、塾でもあっていなくてうちはサピに転塾したのでその後はわかりませんが、中学受験したのかな?
元気にしているかな〜![]()