息子は四歳になるまでほとんど言葉を発しませんでした。
 たいていの育児書には、普通は一歳くらいから言葉が出始め……などと書かれてあり、実際、保育所の同級生や同時期に生まれた子の中には二歳にならずに、もうペラペラ喋っている子もいて、三歳をすぎたころから少し焦りを感じていました。
 それに加えて、医者、特に耳鼻科は言葉の遅れと耳の聞こえを結びつけたがる傾向にあり、息子の場合も慢性化した中耳炎で聞こえていないからだと決めつけられ、結局、阪神間では小児耳鼻科の権威とされる大きな病院で聴力検査を受けることになりました。
 結果は正常。
 医者は、
「こんだけ聞こえとって、それで喋らへんのはおかしい。わからん。発達の全体的にゆっくりした子なら、言葉もゆっくりやね、でわかるけど、他は全部まともで、言葉だけが遅いのは、わかれへん」
 と首をかしげ、私が、
「毎日ディズニーの英語アニメをずっと観てるんですが……」
 と言うと、これに飛びつき、
「それですわ! テレビの見過ぎは脳の発達を止めるんです! テレビの見過ぎはあきまへん。テレビやめて下さい。それで何ヶ月か様子観ましょう」
 後でわかったことですが、この「テレビ観過ぎ説」は何の根拠もない、全くの俗説珍説、あるいはオカルト科学のたぐいでした。
 そしてこれが、これ以後、このバカ女の垂れ流す種々の妄言の始まりでもありました。
 後の話になりますが、このバカに強く薦められた手術は片耳失敗するという惨憺たる結果で終わり、こんなのが阪神間では小児耳鼻科の権威として通っているということに、今となっては慄然とせざるを得ません。
 けれど、この時点では、私も、妻も、このバカの言うことをほとんど疑いもせず、アニメ鑑賞をやめさせたのですから、今となっては私達もバカ親のたぐいと言われても仕方ないかも知れませんね。



昨日観たDVD
『Wagner The Ring Without Words』(2012年 EU 88分)
 ワーグナーの楽劇は音楽は素晴らしいが話がつまらん。とか言い出したらモーツァルトのオペラはどうなんだって話にもなるが、とにかく『ニーベルングの指輪』は全部観ようと思えば十五時間かかり、それで話が面白ければ良いんだけど、とにかくキャラクターが善人か悪人かバカばっかで、それが騙しあったり、殺し合ったり、嫉妬に燃え狂ったり……こんなのを十五時間も観ていられるかって話。
 そう思う人は昔からけっこういたはずで、だからワーグナーの音楽の一部を抜き出してそれだけを集めて演奏するという形のコンサートは数知れずやられてきたし、CDも結構な数出てもいる。私も定番のクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーに始まり、クレンペラーやセルのものは飽きるほど、最近ではレーグナーやスイートナーを再発見してほとんど涙を堪えながら聴いている。
 で、このDVD、十五時間の『リング』からオーケストラの聴かせどころを抜き出してつなげ、まるで一楽章の交響曲のようにまとめたもの。再構成と指揮はロリン・マゼール、オケはベルリンフィル。
 当たり前だけど、これが結構聴かせるし、観せる。
 名演とかいうたぐいのものではないけれど、ワーグナーの音楽がどういうものかってことが視覚的によくわかる。
 金管、とくにトランペットが格好いいし、何よりこのテンションで良くも八十分以上吹いていられるもんだと感心する。
 これがアマゾンでは八百円程度で買えてしまう。
 クラシックファンなら絶対に買っておくべき一枚。★★★★★

 タイトルを変更しました。
 と言うのも、最初の記事をアップしてすぐに息子を巡る種々のトラブル(と言っても、専門ではない連中の空騒ぎをこちらが真に受けてしまっただけのことですが)に遭遇してしまい、とても子煩「脳」などと言う呑気な状況ではなくなってしまったのです。
 そしてそのトラブルから抜け出す中で、息子と、何より自分自身への理解が深まり、子煩「脳」とはかけ離れた状況に至ってしまいました。
 追々書いていきますが、一年前まで、たとえばルービックキューブの六面など、時間と根気さえあれば誰でも完成できるものだと思っていました。
 今回、息子のために買って来て、妻にやらせてみて、初めて、常人は一面にさえ苦労するものだと知りました。
 私は大学入試が終わった時点で買い、おそらくその日のうちに六面完成できていたと思います。もう三十年以上も前のことですが、あまりにあっけなかったのですぐに飽きて、それ以来触ってはいませんでした。
 今回も妻がメチャクチャにしたキューブを、四十分かかりましたが自力で六面完成することが出来ました。
 その様子を見ていた妻が言うには、
「気色悪い」
 そうです。
 そう!
「気色悪い」
 これこそ私が子供時代、周囲から言われ続けた言葉でした。
 実際、友人たちとは何かが違っていました。
 私はその「何か」、私自身の持つ「生きにくさ」を家庭環境のせいだと思って来ましたが、そんな生やさしいものではなかったのです。
 私の子育ては自分自身の「何か」を探る旅になりました。


いつか観たDVD
『ドライヴ』(2011年 アメリカ 100分)
 夜は強盗の逃がし屋、昼はスタントマン。二足のわらじを履く男がご近所の母子と親しくなり、刑務所から帰ってきたダンナとも親しくなり、親しくなりすぎてとんでもないトラブルに巻きこまれる。静謐な演出の中に突然エグイ流血がニュッと顔を出したりで、暴力が苦手な人はショック死に気をつけて。ショック死の危険を冒してでも観る価値はあります。人妻役のキャリー・マリガンが清楚で良いです。★★★★☆

 不思議なことに、小学校に上がるまでの父親の記憶がほとんどない。かろうじて残っている最初の記憶は、家の改修工事に使うコンクリート用の砂を砂場として遊んでいて叱られた場面。これはひどく恐ろしい経験として憶えている。このときの父親は得体の知れない何かだった。
 あとは保育所に行きたくなくて寝たふりをしているのを、そのまま抱え上げて隣の祖母の所に運んでいった、その時の父親の声。
「病気じゃないの?」と問う祖母に、父親は、
「大丈夫。すぐ起きてくる」と返した。
 寝たふりはバレバレだったが、だからといって叩き起こすような父親ではないことは、この時点で理解していた。
 このときの私にとって父親はチョロいものでしかなかった。
 最初の叱られた記憶が恐らく四歳くらい、次の寝たふりが恐らく五歳くらいだから、一年の間に幼い私の中の父親像が、得体の知れない何かから、チョロいものへと劇的に変化していたことになる。
 今、私の息子が四歳八か月。
 息子の中でも父親像が変化しつつあるのだろうか。