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この田老地区には万里の長城と呼ばれる防波堤がありました。


これは以前の2回あった大地震の大津波後に


今後の対策として建てられたものです。


以前の津波の高さは明治29年が14.6m、昭和8年が10.7mで


田老町全ての民家が倒壊しました。


そこで現在の値段にして総工費50億円をかけて建てたのがこの防波堤、高さが10mです。


14.6mと10.7mの津波があったのに、10mの防波堤????


そして、以前の教訓もあって防波堤も建てたのに、なぜまたこの場所で大きな被害と死者が出てしまったのか。


どんなメディアでも聞く事のなかったお話を三陸鉄道広報の赤沼さんがお話して下さいました。



【町民に伝えられていなかった事実】


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2度の津波から得た教訓を元にここに防波堤が作られた。


膨大な建設費を注ぎ込んで建てられたこの防波堤は「田老の万里の長城」と呼ばれ


町民はもう大丈夫、津波が来ても守ってくれると信じていた。


当初は10mよりもっと高い防波堤を作ると公表されていたが


田老地区へ海から来る湿気をまた海側へ逃がすには


防波堤は10mが限界だった為結果的に10mで作ることになり


津波が来た場合は避難する時間稼ぎの役割として防波堤が完成。


だけど・・・町民はその事を知らなかった。


その為地震直後も「今回は防波堤があるから大丈夫だ」


と避難する人が少なく被害にあってしまった。




【水門を閉めた消防団が亡くなった本当の理由】


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この万里の長城には海岸から町へ繋がる通路がいくつかあって


もし津波が来たときはその通路をボタン1つで閉めることになっていた。


でも地震直後停電した為にボタンでの操作が不可能に。


そこで地元の消防団は手動で閉める為防波堤へ行って封鎖した。


だけど水門を閉める作業をした全ての消防団が津波に飲み込まれて亡くなってしまった。


それは逃げるのが間に合わなかったからじゃない。




「手動で水門を閉めたらその場で待機」




というマニュアルに従ったから。



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今更何を言ってももう失われた命は戻らないけど。。


もし町民にきちんと防波堤の本来の役割を説明していたら?



『避難する時間稼ぎとしての防波堤』として作って


過去2回の津波は10mを超えていて


それなのになんで待機するマニュアルなの????


町を守る為に、その間違った指示を守ってなんで命を落とさなくちゃいけないの?



「今回の状況を元に次回はもっと強化して対策する。」



あと何回被害にあって、何人の方が犠牲になれば”次回は”がなくなるのだろう。


理不尽すぎませんか?


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