『嫌われる勇気』
本屋さんでも積み上がっていて、ドラマ化もしたくらい有名な本です。
アドラーの教えは、受け入れられる人とそうでない人に分かれると思います。
私がこの本を読むキッカケは、
大切な人が
この本が今のあなたには必要です
何か役に立つ答えが見つかるでしょう
と、当時、どん底にいた私に貸してくれたから。
最終的には貰ってしまったのだけど…
そして今では、この本をバイブルのように大切に持っています。
嫌われることを恐れるな!
あなたはもっと嫌われた方がいい
そんなふうに言われました。
嫌われる
好んでこれを望む人は少ないでしょう。
もし人目を気にすることで、嫌われることに過度になりすぎて疲れている人はいませんか?
世の中平和が一番です。
でも
「嫌われている」
という事実について、落ち込む必要は全くないのです。
極論ですが、
その嫌ってる人が自分のために何かしてくれる
なんてことはないのです。
なんてことはないのです。
そんな非生産的なことに、気を使ったり、落ち込んだり

考えれば考えるほど、誰もシアワセになってないんですね。
そんな思いするくらいなら、
その人たちに使うはずだった時間を、自分を守ってくれる人や、大切にしてくれる人たちに使う方が、有意義で大切な時間だと思いませんか?
こっちを選ぶ方が明らかに健全だし、気分良く過ごせますよね

嫌われるのは自分の問題でもあるけど、相手の取り方の問題もあります。
だから自分の努力だけでは変えられない。
そして、相手の気持ちをコントロールしようなんてのもおこがましい話。
だからそこに無理しなくても、気にしなくていいのです。
嫌われても別に構わないのです。
ちなみに「ポジティブに!」みたいにプラス思考になりましょ!
みたいな意味ではないです。
ちなみに「ポジティブに!」みたいにプラス思考になりましょ!
みたいな意味ではないです。
仕方がないことだし、そこを改善しようとする努力は
やりたければやればいい。
でも疲れたり、悲しんだり自己重要感が奪われそうになるくらいなら、 無理に頑張る必要はないのよって話です。
もっとも大切なことは、
あなたがあなたの気持ちを大事にしてあげる
自身に嘘をついて、空気を読み相手に気を使って…
なんて大人の対応のように見えて、とっても体には不健全

嫌われてる自分を恥じる必要は何にもありません。
その評価でひどく傷つくのは、自分に過剰な評価をしすぎなのかもしれません。
嫌われてもそんな自分でもいいのだ!
と自分だけは味方でいてあげましょう

嫌われたってあなたの価値は下がらないし、減ることもないのです。
だから何も傷つく必要はないんですね。
自分が心地よく生きていける
それが一番重要なんです

誰かの意見なんて気にせず、 自分のために生きて生きましょうね


いつも本当にありがとうございます



