小林麻央さんの訃報が飛び込んできて、改めて「生きる」という意味を考えさせられました。
こういう波動は感じたくないのですが、私は「その時」が分かってしまうのです…
川島なお美さんの時もそうでした。
みなさんも、普段は言えない言葉、たくさんあると思います。
こんな悲しい波動は感じたくないです

当たり前のように毎日生きていて、当たり前のように朝が来る。
でもそれは決して当たり前ではないのです。
願いを叶えたい

アレもコレもってすごく「ないものねだり」をしているような気がします。
シアワセはすぐそばにあって、それが当たり前過ぎて気づかない。
心臓が動いている
呼吸が出来る
目が見える
耳が聞こえる
口がきける
耳が聞こえる
歩ける
ものが食べられる
どれだけ当たり前のシアワセ、感じられてますか

私の尊敬する先輩も、昨年、乳がんで亡くなりました。
大好きだった人も、癌で亡くなりました。
みんな1日を必死に生きていて、太陽が昇るだけでシアワセだと言いました。
そんな姿を見て、私は何も言ってあげる事が出来ず、ただ泣いてばかりの日々でした。
亡くなった時は、まるで抜け殻のように何もする気が起きませんでした。
それでも残された者は、生きていかなければなりません。
亡くなった人の分まで、シアワセになるのです。
みなさんも大切な人を見送る日が来るでしょう。
既に経験された方もいらっしゃるかもしれません。
私たちがすべき事は、過去を振り返る事ではなく、今を、これからの未来をどう生きていくか。
海老蔵さんの会見で、最期の言葉が「愛してる」だったそうで、それを伝えられた事はシアワセだったんじゃないかと思いました。
みなさんも、普段は言えない言葉、たくさんあると思います。
私たちは伝えられる今がある。
とてもシアワセなんだと思いました。

