小泉進次郎さんがFacebookページで先日の緩和医療学会学術大会の市民参加セッションに登壇されたときのことを投稿してくださっています。
(https://www.facebook.com/shinjiro.koizumi/posts/1543002152437611)
“AYA(アヤ)世代ってご存知ですか?”
という文章から始まり、AYA世代とはというところから記載してくださっています。
このブログを読んでいる方は何度か目にしているかもしれませんが、AYA世代というのはAdolescent and Young Adultのことで主に15歳〜30歳代のことを指します。
進学、就職、結婚、出産などライフイベントを迎えるこの時期にがんになることは他の世代とは違った困難を感じることになるため、別の配慮が必要になります。
私も語ればきりがないほど様々な葛藤があり、
もしももしも、生きられたとしても、その先の未来に希望が持てず
私の“人生”は終わりだなと絶望しながら闘病生活を送っていた時期もありました。
私自身は大学1年生のときに治療に入ったのでまず差し迫った問題としては大学に戻れるのかという学業の困難。
医学部の授業はスケジュールがハードで試験も多く、講義ならまだしも実習は休むことができないため体力面が不安でした。
無理をして再発してしまったら...
もうこんな体の私には無理だから大学辞めよう...
でも辞めたらこれから私の人生はどうなっちゃうんだろう...
先が見えず追い詰められていました。
結局色んな先生方の助けがあって大学は2年遅れで復学でき、
復学直後の実習は真面目で体力のある男の子がペアになるように配慮して頂いたり(その人が負担を背負って助けてくれたおかげで今の私があります!)、
はじめの頃は呼吸器の感染症を繰り返していたこともあり大変な大学生活でしたが、数年かけて徐々に体調が改善して体力も戻ってきました。
再発の確率がぐんと下がる寛解3年を経過した頃からは少し負担をかけても大丈夫と思えるようになってきて、今まで無理矢理抑えていた行動範囲が一気に広がり、
やりたいことをできるようになって気持ち的にもとても楽になった気がします。
1番卒業できなさそうな圧倒的劣等生からスタートして、私自身も最長在籍期間の12年かかっても卒業できればというつもりでしたが、
結果的に復学後はストレートに進級し、5年の実習ではもう私の体調を気にする人は周りにいなくなるくらい元気になっていてグループの中でも過酷な実習に配属されたり、6年生には学年で成績上位1名だけ選出される特待生に選ばれ年間の学費が免除されたというおまけ付きで、
いま出来ることをそのとき1つ1つクリアしていった先に、〝絶対無理〟だと思っていたことでもいつかたどり着いて達成できることもあるものだなと感じました。
私の場合、高校3年生の秋には体調が悪かったので、この頃にもし病気を発見できていたらあんなに進行していなかったかわりにまた別の困難が待っていたでしょう。
おそらくすぐ治療に入り、その年の大学受験は断念し、所属する場所もないまま数年経過してからようやくこの先の人生をどうしようかと考えられる状況になっていたのだろうと思います。
医学部は諦めていたでしょうし、大学受験自体もう考えなかったかもしれませんね。
進学時期のAYA世代のがんはその後の人生の方向性を大きく変えてしまうものです。
小泉進次郎さんがこう書いて下さっています。
“これを機会に、多くの方にAYA世代という言葉を知って欲しいと思いますし、私自身もAYA世代の一員として、AYA世代のがん対策の後押しをしていきたいと思います。”
とても有り難いお言葉です。当日もそのような言葉をかけて下さって感激しました(*^^*)
最後に自分で笑ってしまった写真を...