読谷村にある、

チビチリガマ、シムクガマに行きました。

 

 

よく比較される二つのガマで、

近くにあるガマであるのにもかかわらず、

チビチリガマでは集団自決が起こり、

シムクガマではハワイから帰った留学生が英語を話せたおかげで

千人近くの住民が生き残ることができました。

 

 

ひめゆりの塔を見学した後ということもあり、

沖縄戦の時系列がだいたい理解できました。

 

 

中部にいた人たちは、

米軍上陸後すぐに捕虜になったり殺されたりしましたが、

ひめゆりの人たちを始め、南部に逃げた人たちは、

数ヶ月間、米軍の攻撃に耐えながらガマの中で生活していました。

 

 

米軍と日本軍の大きな戦いがあった後は

日本軍が撤退してくるので

アメリカ軍が攻撃的になって民間人の被害が増えていることが察せられました。

 

また、6月の20日ごろから日本軍もさすがに負けを認め始めたのか、

攻撃が弱くなり、民間人の保護されて助けられる割合が高くなっていました。

(慰霊の日23日)

 

 

改めて戦争の惨さを感じられました。

沖縄県民として、

これからはこの悲惨な地上戦の情報発信をしたいです。

 

 

 

 

 

緊急事態宣言がよりにもよって沖縄だけ延長されました。

コロナ許さん