『茶の民族誌』p229引用:擂茶についての宋代書物~擂茶は宋代頃に既に中原地方に普及している | 船橋市茶文化資料室

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『茶の民族誌』p229に青木正児《中華茶書》(1962)中の擂茶記述を引用している。(青字)

「私は漢東に生まれたので最も擂茶(れいちゃ)を啜ることを好む。閑な時、常に一~ニの北方人を訪問すると、私がこれを啜ることを好むを知って往々煮て飲ませてくれることが有ると、嬉しくてたまらない。其の法は茶の芽を茶碗いっぱいばかりに、胡麻少々を入れて、擂鉢の中で、どろどろになるまで研り、水を適宜に入れて之を煮るのであるが、その味は極めて甘くこくて好ましい。」と蘇東坡の詩を紹介し、その地が湖北省の北部にあたる、漢東ではないか、といっている。」

 

ところが青木正児氏(1887-1964)の生まれは山口県下関市。「漢東」ではない。この引用についてずっと疑問を感じていた。今日古本屋で購入した原書が届いたので早速確認したら、以上の内容は青木氏の体験談ではなく、青木氏の引用だったことをわかった。青木氏の引用先は南宋(1127-1279)1119—1190 の文人・袁文氏の雑記ー《甕牖閑評》。つまり、「漢東」生まれは南宋時代文人・袁文氏の故郷だったことをわかった。これでスッキリウシシ

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ところでこの引用を読んで一番驚いたのは今から約700~800年前の中国北方ですでに擂茶を喫する習俗が普及していたことだ。。「私は漢東に生まれたので最も擂茶(れいちゃ)を啜ることを好む。閑な時、常に一~ニの北方人を訪問すると、私がこれを啜ることを好むを知って往々煮て飲ませてくれることが有ると、嬉しくてたまらない。」。北方人の家に行くと擂茶をつくってくれたという。私のイメージの中で擂茶は湖南、広西、貴州、福建など南方、または東南地方の習俗だと思っていたが、なんと擂茶は遥かな昔から「中原地方」の漢族にもあった習俗だ。袁文氏の《甕牖閑評》はこちら「中国哲学書電子化計劃」サイト(簡体字)で読める。当時擂茶の「レイ」は「擂」と「畾」(lei)は兼用。

そういえば客家の伝統茶としてよく紹介されているのは擂茶。近年客家は中原から南下した漢族である説が濃厚。だとすると、宋代頃から中原にあった擂茶は客家との関わりがあるのではと推測したくなる。

 

*中原(中原)、または中原地域。

古代中国王朝の所在地で、現在河南省とその周辺を指す。春秋戦国時代に周王朝の都があった場所。帝王の位を得ようとして戦うことのたとえは「中原に鹿を逐う」(逐鹿中原)という言葉がある。