【高野山・奥之院】(高野山)世界遺産
高野山の信仰の中心であり、弘法大師さまが御入定されている聖地です。正式には一の橋から参拝します。一の橋から御廟まで約2キロメートルの道のりには、おおよそ20万基を超える諸大名の墓石や、祈念碑、慰霊碑の数々が樹齢千年に及ぶ杉木立の中に立ち並んでいます。(金剛峰寺公式サイトより転載)
金剛峰寺を参拝した後、奥之院へ向かった。弘法大師が入定した場所とのことで 壇上伽藍とともに高野山における二大聖地とされているので、見逃せない。
奥之院の入口の一の橋。ここで一礼。
【入定信仰】
入定(にゅうじょう)信仰とは、空海が今でも肉身をこの世にとどめ、深い禅定に入られているという信仰。奥の院では、1日2回、お大師様に御膳を届ける供養が行われている。中国では「肉親菩薩」という言葉がある。2019年広東省の禅宗六宗恵能ゆかりの寺、南華禅寺を訪ねた時、”徳の高い僧侶が亡くなる時、体が腐敗しない”ということを聞いたことがある。故に、南華禅寺にある惠能の真身(肉体)は今も千年前とほぼ同じような姿であると信仰され、祀られている。⇒以前の記事:韶関の旅③南華禅寺
【武士の墓】
一の橋を渡り、弘法大師の御廟までの参道に鬱蒼とした大杉が林立している。
ところで主人もびっくりしたのはなんとこの参道に武士たちのお墓が次から次へと現れる。お大師さまに会いに来たと思いきや、まず武士のお墓の見学からスタートというやや不本意な始まりである。
高野山町石道は信仰の道。
藩主や有名な武士の墓ばかり。薩摩島津家。
徳川家
高野山攻めをした織田信長の墓。
明智光秀。死後の世界でお二人の霊は、、、
豊臣家の墓は大きい。高野攻めを取りやめ、高野山を庇護したこともあるからだろうか
法然上人のお墓も
よく考えたらお墓というより供養塔だ思う。
【奥之院の墓石・五輪塔】
五輪塔とは違った形の石が五つ重なった墓石のことを指す。この五つの石にはそれぞれ意味が込められている。一番下の四角い石は大地や地球を表し、「地」の字が刻まれている。下から順に丸石は「水」、三角は「火」、お碗形の石は「風」、一番上のしずく型の石(玉ねぎ石)は「空」を表している。墓石に地、水、火、風、空という五つの自然の要素を用いているのは、亡くなった人々の霊が自然に戻っていくという教えだろうか。
奥之院の最奥、御廟橋。御廟橋の向こうはこの高野山で一番の聖域だと言われ、撮影禁止となっている。
一口メモ
- 平安時代の初めに、国の安泰、世界の平和を願い、真言密教の修禅道場として弘法大師空海が開いた高野山。平安時代から多くの天皇や貴族が参詣し、その時、一番の目的地は「弘法大師廟堂」を参拝することである。
- 奥之院灯籠堂の対聯(ついれん): 晝夜愍萬民住普賢悲願 肉身燈三昧待慈氏下生
- 嵯峨天皇が久しぶりに空海と喫茶歓談して夕暮となり、高野山に帰る空海を見送る時に、別れを惜しんで詠んだ詩。
『与海公飲茶送帰山一首』 嵯峨天皇
道俗相分経数年
今秋晤語亦良縁
香茶酌罷日伝暮
稽首傷離望雲烟
嵯峨天皇の歌を詠んで人間空海を感じたわたしである。
アケビの花@20230430高野山奥之院