『茶経』の歴史背景について重要な予備知識の一つは唐代の「貞観(じょうがん)十道」と「開元十五道」である。特に今回の茶会で読む「八之出」は茶産地の話なので唐代の行政区画(地理上の区画)を知っておいた方が読みやすくなる。詳細は以前の記事をご参考。
さて『茶経・八之出』浙東の茶について
訳すと(青字)
「浙東では、越州の茶が上等。(餘姚県瀑布嶺の茶は「仙茗」といい、大葉のものは殊にすぐれ、小葉のものは襄州に似ている)明州、婺州の茶は次等。(明州の鄮县の榆荚村と婺州東陽県東白山の茶は荆州に似ている。)台州の茶葉下等。(台州始豊県の赤城茶は歙州に似ている。)」
「越州」は紹興酒で有名な浙江省東部紹興市一帯に設置された「州」。三国時代は呉の統治下で、隋代は呉州、越州、会稽郡などの名称を持ち、唐代にはいると「会稽郡」からまた越州に戻った(紹興は越州だったり会稽だったり)。故に『茶経』も「越州」と用いる。
紀元1131年越州地方に逃げた宋の皇帝が大変越州を気に入って、ここに一旦休息をし、力を蓄えれば、いつか失った中原領土を奪還できるという気持ちで、「紹祚中興」の言葉を書いた。そして年号を「「紹祚中興」から二文字を取り「紹興」となり、南宋の越州は「紹興城」と名乗った。
越州の名茶における文献は数多く現存する。一つ例を挙げると北宋の政治家、詩人欧陽脩の『帰田録』に「日鋳,紹興山名、其地産茶」、「草茶盛於两浙,两浙之品,日注(=鋳)為第一」という記載である。まだまだあるがまたいつかの機会で「日鋳茶」の史料を紹介したいと思う。
「日鋳茶」の主力生産基地は紹興市会稽山の南麓。ここに「日鋳嶺」という山があったため、周辺の茶は「日鋳茶」と呼ばれるようになった。名前の初見は宋代。『茶経』の時代はもっと広い範囲での呼名ー越州茶。
昨年の春一番茶。今朝に「開封の儀」をした(笑)。
茶葉の外観。カールをしている。
5gの茶葉に120㏄のガイワン。2007年龍泉窯に行った時購入したもの。端反り口で熱湯でも淹れやすい
5g
越州茶のため飲杯は「仿越州秘色磁」
水色
白い飲杯で水色をもう一度
茶殻。かなりミルイ
一口メモ
- 「日鋳茶」は「日鋳雪芽」ともいう。また紹興平水県(現在平水鎮)で造られているため「平水日鋳」と呼ぶ人が多い。同じ地域に「平水珠茶」というお茶もある。外観は「日鋳茶」に似ていてカールは一回り大きい。
- 現在紹興市の地域ブランドとして日鋳茶を①鹰爪(平水)日鋳、②貢熙(平水)日鋳、③赤堇日鋳、④若耶日鋳、⑤三灶日鋳五ランクを付けている。このお茶は③の赤堇日鋳。包装をよくみれば商品名=ランクが書かれている。
ちなみにこのような一服分の「日鋳茶」も販売されている。表より裏をしっかり見た方がよい。
「貢熙日鋳」と書かれており、これはかなりランク上な「日鋳茶」で、お値段は③より2,3倍高い。