禅語「喫茶去」ゆかりの地「柏林禅寺」探訪⑥国重要文化財の「趙州舎利塔」 | 船橋市茶文化資料室

船橋市茶文化資料室

旧・Jun’s茶日記blog
日本茶インストラクター&リーダー
悠々茶館主催【茶書を読む月茶会】書籍
2020-2024/2中国唐代・陸羽『茶経』
2024/3~現在・『茶の民族誌ー製茶文化の源流』

<span style="color:#000000;">前回の続きである。</span>

 

柏林禅寺境内の最も古い伽藍は、俗に「柏林寺塔」(または趙州塔)と呼ばれている石塔である。正式名称は「趙州舍利塔」。「柏林禅寺」は漢の時代に創建され、当時の名前は「観音院」。南宋時代は「永安院」、金代は「柏林禅院」、元代から、「柏林禅寺」となった。80年代後半、淨慧法師が「柏林禅寺」を再建した時、境内には、この「趙州塔」と樹齢千年を超える柏樹しかなかったという。趙州和尚がなくなって400年の歳月が流れてから、元王朝天歴3年(1330年)、趙州従諗禅師(趙州和尚)を偲ぶ舎利塔が建立された。

修復前の「趙州舎利塔」。元代建築の香が漂う。

高さ39.5メートル。日本の塔は木造が多いが中国の場合は、石塔が多い。仏教の普及とともに、仏舎利や経典を納める石塔が作られていました。参拝しながら、石塔の建築の美を鑑賞するのも中国の寺院参拝の醍醐味のひとつだと思う。

 

晩唐の高僧・趙州和尚を偲ぶ「趙州舎利塔」。趙州和尚の舎利が納められているかとガイドさんに聞くと“元代に建てられたが、当時趙州和尚の舎利が保管されていたかどうか、塔をあけてみないと誰も確信が持てない”とのことだ。


「趙州舎利塔」は「磚石構造」ではなく磚木構造」(れんがと木材)で作られている。佇まいが美しい。

 

元代1333年に建築。八角の7階建の塔。

須弥座の上は木造。

元代の塔銘:「特賜大元趙州古仏真際光祖国師」

現在、国指定の重要文化財。前世紀60年代、地震によって塔が斜めになり、損壊された部分も多いことをみて、1997~1998年、シンガポールの企業家の寄付によって再建された。再建後、淨慧法師が書いた「重修趙州禅師舍利塔功德碑記」。中国では、舎利塔再建の際、再建経緯を述べる文書を石碑に残す習わしがある。

 

趙州和尚がなくなった200年後、宋代・臨済宗の僧、黄龍慧南(1002-1069)がこの頌を残して世を去った。

傑出叢林是趙州

老婆勘破没来由

而今四海清如鏡

行人莫以路為難     『頌二首其一』(宋・釈慧南)

 

臨済宗は、宋代の中国に渡り学んだ栄西らによって日本に伝えられ、その後様々な流派が成立した。栄西が伝えた臨済宗は黄龍慧南一派の法統だと言われ、その黄龍慧南が最も尊敬している禅林の僧は趙州和尚だと、この「頌」を読んで感じる。茶禅一味の源流はここにあるとつくづく思った。

 

続く→