禅語「喫茶去」ゆかりの地「柏林禅寺」探訪⑤中国北方禅林の聖地 | 船橋市茶文化資料室

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山門両側の「楹聯」  右:寺蔵真際千秋塔  左:門対趙州万里橋

 

「柏林禅寺」は、北京市と天津市を取り囲むように位置する河北省の中南部にある。世界最古のアーチ石橋―「趙州橋」に向かい合って4キロメートル程離れている。創建は東漢末期(196-220)。当時「観音院」という。インドに興り、やがて広大な砂漠(西域)を通って東の中国に仏教が伝わってきたのは漢明帝の時代(西暦28-75年)。この地に「観音院」が建てられたのは漢献帝(181-234年)の頃。もう仏教が中国各地に浸透し始めた頃だろうか。

趙県のメインストリート「石塔路」に面した「柏林禅寺」の山門。南門である。

正面の山門は常に閉鎖している。参拝は隣の脇門(中国語で「偏門」)から入る。

山門と一体した「韋馱殿」(韋駄天堂)。山門の裏に「韋馱天堂」がある。韋駄尊天は仏法を守る神様。中国では山門や本堂前によく祀られる。韋馱天堂に「鎮我山門」の扁額が掲げられており、門楹(もうえい)は

(左)檀越安僧宣妙语  (右)韋天護法作金湯

 こいう対句をみるのは大好き。

山門と韋馱殿はそれぞれ1993年、1997年建築されたもの。

 

寺の中心建築:普光明殿。山門と同じ中心軸上に配置されている。1992年建築。法事や僧侶達の朝晩読経がここで行われているという。

威風堂々の本堂「普光明殿」。

(右内)庭前柏樹迎帰客

(左内)殿里法王展笑顔

(右外)本份事接人 洗鉢 吃茶 指看庭前樹子 

(左外)平常心是道 搬磚 盖瓦 瞻依殿里法王尊

両脇のイブキは青々しい。

 

鐘楼。1994年建設。高さ18メートルの三階建て。昔この鐘楼は「東寺鐘声」と称され、趙州十景の一つだという。

境内。

 「同登淨域門」。「柏林禅寺」の方丈職を十年以上勤めた浄慧法師を偲ぶ建物。1992年から「柏林禅寺」の方丈となり、伽藍の再構築や柏林の栽培、柏林禅寺の本格的な復興は、浄慧方丈の時代だと言われている。もちろん、国の管理下の禅寺なので資金や復元方針など、国の指導元によるものだと思うが、今まで参拝している中国の禅寺の中で、「観光要素」より「修業目的」に復興されている禅寺ではないかと見受ける。それは浄慧法師の功績が大変大きい。

宗教の枠を超え日常生活の中でも実践できる淨慧法師が提唱している「生活禅」は、現代中国の仏教界では、よく知られている。著書の「生活禅」は日本語に訳され、「生活禅のおすすめ 」という書名でアマゾンで購入できる。日本でもお馴染みの「平常心是道」禅語も似たような考え方だろうが、90年代、理論の提唱だけではなく、一般人向けの「生活禅・サマーキャンプ」も「柏林禅寺」で行われるようになった。その後中国各地の寺院までこの「サマーキャンプ」が普及され、外国人の参加もうけいれるようになった。冬の修行キャンプもあるのでいつか参加できるのを密かに願っている。浄慧法師は、2013年圓寂。

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