『茶経』に記載されている唐代喫茶法は「碾」という茶道具がある。
『茶経・四之器』より
“碾(拂末)
碾,以橘木為之,次以梨,桑,桐,柘為之。内圓而外方,内炎備於運行也,外方制其傾危也。内容堕而外无余木。堕,形如車輪,不輻而軸焉。長九寸,闊一寸七分,堕径三寸八分,中厚一寸,边厚半寸,軸中方而執圓。”
訳:
碾は橘の木で作る。これに次ぐものは、梨、桑、桐、柘で作る。これを作るには、内は円くし、外は四角にする。内が円いのはよく廻るためであり、外が四角なのはぐらつかないようにするためである。碾内に堕(円盤、薬研車)をいれ、隙間を作らない。円盤は木製の車輪のようで輻はなく、軸のみである。軸の長さは9寸(27cm)、幅は一寸七分(約5cm)、円盤直径は三寸八分(約12cm)、中心部の厚みは一寸(1.5cm)、縁の厚みは半寸。軸棒(ローラー)の中央部は四角いが、取っ手の部分は円い。
写真は我が家のベランダーに置きっぱなしをしている薬研。。次回の『茶経』を読む茶会に持って行くつもりだが、14kg程あるのでかなり重い。(頑張って持って行くわ。体験しながらの『茶経』を読む茶会なので)
茶碾子または茶研について
1987年、陝西省西安郊外の法門寺から唐代茶道具が発掘され、銀製の「茶碾子」が出土された。碾の底に「咸通七年文思院造銀金花銀製金メッキ茶碾子一枚共重十九両」の銘文があり、当時「茶碾子」と呼ばれていたことが分かった。
平安時代中期に作られた辞書『倭名類聚抄』(和名抄)に「茶研」の記述がある。記述の前半は殆ど『茶経』の「碾」の解釈を引用している。内容は以下の通りである。
『倭名類聚抄』(和名抄) 巻4 器皿部 茶研(青字)
章孝標集有黄楊木茶碾子詩。碾音展,訓歧之流,茶碾子俗謂之茶研。研音加彦反。茶碾子又見唐済涜廟北海壇祭器碑。按茶経云碾以橘木為之,次以梨桑桐枳為之。内圓而外方,内圓備于運行也,外方制其傾危也。内容堕而无余木,堕形如車輪,不輻而軸焉。長九寸,闊一寸七分,堕径三寸八分,中厚一寸,边厚半寸,軸中方而執圓。是可以見茶碾之状也。按碾即輾字,广韵輾,碾上同,而輾碾二字并説文不載,盖古作展。説文展,轉也。韵会輾,轉輪治榖也。碾,所以轢物器也。(《集韵》)文選古詩【飲馬長城窟行】展轉不可見,注輾亦展字也,关雎輾轉反側,后漢書光武紀注,作展轉反側。。。以下略。
唐代から、特に晩唐以降、「碾子」で団茶を挽く喫茶風景の詩が残されている。例として 元稹 中唐 茶, 香葉,嫩芽。 慕詩客,愛僧家。 碾雕白玉,羅織紅紗。 銚煎黃蕊色,碗轉麴塵花。 夜後邀陪明月,晨前獨對朝霞。 洗盡古今人不倦,將知醉後豈堪夸。(《一字至七字詩・茶》) 司空図(しくうと) 晩唐 (837-908) 正是階前開遠信,小娥旋拂碾新茶。(《暮春対柳二首》) 秦韜玉(しんとうぎょく) 晩唐。 太守怜才寄野人,山童碾破団団月。(《摘茶歌、または紫笋茶歌》) 李咸用。 晩唐。 傾筐短甑蒸新鮮,白紵眼細匀于研,甎排古砌春苔乾,殷勤寄我清明前,金槽無聲飛碧烟,赤獸呵氷急鐵喧。(《謝僧寄茶》)
修睦 晩唐~五代 偈吟諸祖意,茶碾去年春。(《睡起作》)
秦観 北宋 愿偕黄金碾,自比百玉缸。(《茶臼》注:この題の「茶臼」は搗き臼で現代の抹茶を挽く石臼ではない)
王洋 宋 僧窗虛白 無埃塵,碾寬羅細杯勺勻(《謝筠守趙從周寄黃蘗中洲茶》)
陸游 宋 玉川七碗何須爾,銅碾声中睡已无 (《昼卧聞碾茶》)
黄庭堅 宋 睡魔正仰茶料理,急遣溪童碾玉塵 (《催公静碾茶》)
耶律楚材 元 黃金小碾飛瓊屑,碧玉深甌點雪芽元 ( 《西域從王君玉乞茶因其韻》)
ところで農具としての石碾は、唐・宋時代に碾磑(テンガイ)という言葉がある。中国語辞典では「碾磑、水力によって動かされる石碾」、つまり水碾のことと解説。主に脱穀用の農具の一つで動力には水車が使われていたとか。日本では福岡県太宰府にある観世音寺に日本最古と称される石臼ー「碾磑」(テンガイ)があると聞いているが、福岡にはまだ行ったことがないので今年行けたらと密かに願っている。 石碾は今中国の田舎で時たま見かける。youtubeにこんな動画がある。驢馬によって石碾が動かされている。
お知らせ 次回の『茶経』を読む茶会は2月2日日曜日午後13:30~開催 四の器の最終編で薬研を使って実際浙江省蒸し製団茶を挽いてみたいと考えております。 御参加お待ちしております。
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