一華五葉落紅塵@乳源・文偃の雲門寺 (雲門山大覺襌寺 )① | 船橋市茶文化資料室

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「天女花」(オオヤマレンゲ)韶関南華禅寺にて(20190324)

 

二泊した韶関の曹渓は離れがたい想いだった。南華禅寺に滞在し、境内もゆっくり見学できて、本当に収穫の多い二日間だった。嶺南の風土に根付いた慧能という和尚さんの偉大さ、そして南華禅寺が中国禅寺の中での位置づけ、所謂、「凡言禅皆本曹渓」(禅を語るならその元である曹渓から語らなければならない)という禅林の言葉があるように、非常に大切な存在であるということを知った。韶関の南華禅寺は、南北朝時代(439年〜589年) に建てられ、唐代、慧能(638-713)の弘法(布教)道場となり、達磨から伝来した禅が中国に深く根を下ろしたことは、嶺南曹渓の南華寺で慧能禅師が、仏法(後の禅)の教えを説き広めていた功績が非常に大きいと言われている。

 

その理由の一つは、慧能のもとから優れた禅僧が多く輩出されたのである。慧能の弟子からまたその弟子へ、歳月経るうちに潙仰宗・臨済宗・曹洞宗・雲門宗・法眼宗の五つの宗派が生れ(禅語一花開五葉の意味はここから)、そのすべての源は慧能からとのことがわかり、この由緒高きお寺、すごいな、来てよかったと思った。

 

ところでもっと感慨にふけた禅寺が隣の県にある。乳源の雲門寺である。雲門宗の根本道場として1000年以上の歴史を持つ。

雲門寺外の広い駐車場。大型バスにも充分なスペースを設けている。

大覚勝境牌坊門

駐車場入り口から禅の言葉の連発。

(中)雲門山大覚勝境。

(左) 你我深有幸 住這聖地 領衲妙旨 導帰真常 

(右) 佛法本无辺 愿諸有情  脚踏蓮花  霊機入証  (前方丈・佛源より)

駐車をしていよいよ参拝へ。

衆妙之門。

左中 胡餅禅機

左1 「諸悪莫作・衆善奉行」 

左2 回頭登彼岸 満面春風 遍地光輝

東西交流が盛んに行われていた唐代。西域の諸民族―胡人の主食はナンのような小麦粉で作らた「餅bing」についての禅公案。茶室に滅多に見かけないが、「雲門の餅」という禅語はよく知られている言葉である。日本では「喫茶去」が大変有名で、中国では「雲門胡餅趙州茶」、一緒に使うことが多い。

右中 偃祖風光

右1 六塵無染 太虚遼廓

右2 一簇破三関 太平時節 普天慶

 

曹渓の南華禅寺から乳源雲門寺までは、寺の和尚さんの話によると、一昔、雲水達が一日かけて歩いて行き来していたとか。先日の記事で鉄道がないのが、不便だとか書いた私。思えば道路が整備され、バスがあるだけでも参拝者にとって十分ありがたいことだ。

乳源にある雲門寺、正確には雲門山大覚禅寺、雲門寺は略称。開山は慧能禅師の六代弟子文偃。時代は唐末から五代。923年、59歳の時、文偃が南漢王の帰依(きえ)を受け、嶺南の雲門山を道場に雲門寺を開き、現在の雲門寺の開山となった。

参拝する前にまずこの参拝注意事項を読む。

中国のお寺に沢山参拝してきたがこのような礼拝注意事項は初めて。その内容は

一 仏教聖地の参拝は敬虔な気持ちを持って見学。(慎みを持つこと)

一 中門ではなく旁門(ぼうもん、大門の脇にある小さな門)から入ること

一 境内の中で露出の多い服装やスリッパ履きの参拝はしないこと

一 大声を出したり走ったりしないこと。

一 境内の草花や私物を許可なしで着服しないこと

一 許可なしで僧侶の宿坊に入らないこと

一 肉食煙酒のような食品を持ち込まないこと。

参拝知識のような内容も。例えば大雄宝殿の参拝方法は、

ご自分が読みたいお経を持参して、境内で読む場合。(中国はこのような参拝者が結構いらっしゃる)

雲門宗の厳しい禅風を感じさせられる一時である。

「一華五葉」より一枚の花びらが舞い上がり、どのようにこの「紅塵」に落ちたのだろうか

禅宗名句「日々是好日」を提示した文偃禅師に思いを馳せながら参拝道を歩き始めた。

 

☆雲門寺&南華禅寺の一口メモ☆

南華禅寺から雲門寺へ車の場合は60kmの道のりで1時間~一時間半必要。つづく