船橋茶文化資料館 | Dark Tea Archive | Ikeda Jun

船橋茶文化資料館 | Dark Tea Archive | Ikeda Jun

Discover tea cultures through stories, tips, and seminars. Chiba, Japan
日本茶インストラクター&リーダー
悠々茶館【茶書を読む月茶会】主催
2025/10/23~静岡・2025世界お茶祭り「黒茶展示会」として出展
テーマ:ようこそ黒茶の世界へ中国黒茶vs日本黒茶

令和8年(2026)《茶書を読む茶会》のお知らせ


3月


1回目3月7日土曜日午後13:30~

2回目3月15日日曜日午後13:30~


部屋が狭いため定員は6,7名


内容:紅茶の緊圧茶(米磚茶・雲南緊圧紅茶)


読書:紅茶という言葉の初見と言われる明代の生活技能百科書ー「多能鄙事」(明代)の茶部分をピックアップ


4月

2026年4月5日(日曜日)1回のみ


内容:双蒸双圧の六堡茶

『茶の民族誌』広西省の部分をピックアック。


5月-6月-7月

お休み


場所:船橋市東部公民館(Jr津田沼駅駅北口から徒歩3,4分)


詳細&お申込み:tytlqjyj1018★yahoo.co.jp(★を@に変えてください)


Where there is tea, there is serenity


一壺清茶,一顆静心

Phou san wild tea在川圹省的分布主要在9-01,9-02,9-06三个地区。早期(1920年左右)的法国川宁农业试验场Na-Hoi大致的位置在9-01,Pek地区,也称Paek地区。Pek(Paek),以前译成贝城,现在统一为帕克县。这个地区是1910-1920年法国人建的Nahoi(那霍伊)农事试验场的所在地,当时的法国农业专家Miéville在Nahoi試験場对附近普桑山的野生茶树做了调查并收集茶籽在当地栽培。1942年出版的『仏領印度支那の農業経済』有对该报告的部分摘译,之后《茶的民族志》又间接引用了『仏領印度支那の農業経済』中老挝茶记述。『仏領印度支那の農業経済』是二手资料,一手资料是Miéville发表在Bulletin Économique de l’Indochine(インドシナ経済速報)上的手记,这是老挝茶叶商业化的最早记录,是老挝茶叶是最珍贵的资料。法语。很奢望能有机会一访此地。

(日本語:プーサン野生茶は、川圹省では主に9-01、9-02、9-06の3地区に分布しています。
初期(1920年頃)のフランスの川寧農業試験場「ナホイ(Na-Hoi)」は、9-01のペック(Pek)地区(旧称パエク地区、現在は統一してパーク県と表記)に位置していました。この地域は1910〜1920年代にフランス人が建設したナホイ農事試験場の所在地で、当時のフランス農業専門家ミエヴィル(Miéville)は、ナホイ試験場で周辺のプーサン山の野生茶樹を調査し、茶の種子を採取して現地で栽培していました。1942年に出版された『仏領印度支那の農業経済』には、この報告の一部が抜粋・翻訳されています。その後、『茶の民族誌』が同書の中のラオス茶に関する記述を間接的に引用しています。『仏領印度支那の農業経済』は二次資料であり、一次資料はミエヴィルが『インドシナ経済速報(Bulletin Économique de l’Indochine)』に発表した手記です。これはラオスにおける茶の商業化に関する最古の記録の一つであり、ラオス茶史の最も貴重な資料の一つと言えます(すべてフランス語)。この地を実際に訪れる機会があれば、とても嬉しいのですが)

 

メモ用に~中部と南部はまたいつか整理しております。

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北部。()の中は県都

1 ウドムサイ県(サイ郡)ーー乌多姆赛省  首府芒赛(原为琅勃拉邦省的芒赛地区, 1961年成立澜沧省, 1967年改今名,“乌多姆塞”意为“富饶和胜利”)

 

2 サイニャブリー県(サイニャブリー郡) ---- 沙耶武里省,是老挝唯一一个在湄公河西岸的省份,首府沙耶武里。1904年由暹罗让予法国。1941年日本驻军时代改成澜沧省,1946年恢复原名沙耶武里省。(1904年シャムの朝貢国であったナーン王国からフランス領インドシナに譲渡された。1941年日本軍進駐(仏印進駐)の時ラーンチャーン県に改名された。1946年再びサイニャブリーに戻った。)

 

3 シェンクワーンorシェンクワン県(ポーンサワン郡)----川圹省(Xiangkhang),首府川圹。旧名はトランニン省、Tran Ninh、旧名の中国語は「鎮寧」。現在は中国語で「川圹省」。

面积的五分之一为平原,五分之四为山地、高原,川圹高原,亦称“芒芬高原”。其北部平均海拔1500多米,最高的山比亚主峰(Phou Bia)位于川圹高原,它的海拔高达2820米(日本語:ビア山Phou Bia。シェンクワーン県のシエンクワーン高原に位置する)。フランス領時代のトランニン省Tran Ninh Plateauはこの地域のことを指すと思う。 シェンクワーン県を中部地方に入れる統計もある。

 

リンク:ビア山 - Wikipediaより転載

 

4 ファパン県(サムヌア郡)----华潘省(Houaphan),原称桑怒省(XamNua),省会桑怒(Xamneua district)

 

5 ボーケーオ県orボーケオ県(フアイサーイ郡)ーー博胶省or柏喬省(Bokeo),首府会晒。博胶省在1983年前是琅南塔省的一部分,注意此时间的地图是不同的。

 

6 ポンサリー県(ポンサリー郡)----豊沙里省(Phôngsali),首府豊沙里。首府北纬21.45.15 东经102.11.21。中国雲南省国境に近いポンサンリーは野生茶や古茶樹が自生している。

 

7 ルアンナムター県(ルアンナムター郡)----琅南塔省(Louang Namtha),省会琅南塔市。全省划分为5个县,其中琅南塔县和芒新县与中国接壤。琅南塔省因境内有南塔河而得名。中寮两国之间唯一的边境口岸(磨憨口岸)设于此省的磨丁镇。

 

8 ルアンパバーン県(ルアンパバーン郡)--琅勃拉邦省(Luang Prabang或Louangphrabang),首府琅勃拉邦。曾为澜沧王国首都(原名孟骚、香通等)。也名“銮佛邦”,是老挝著名的古都和佛教中心,老挝上寮重镇。

 

図はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 「ラオス」項目より転載&編集。リンクは →→

野生茶が自生している郡:()は中国語

ポンサリー(豊沙里)

ファンパン(華潘)

ルアナムター(琅南塔)

ウドムサイ(乌多姆赛)

ボケオ(博胶)

サイニャブリー(沙耶武里)

ルアンパバーン(琅勃拉邦)

シェンクワーン(川圹)

ビェンチャン(万象)

自生茶はほぼラオスの北部・中北部に集中している。出典:Interim Report Forest Tea Feasibility and Design Study, May 2010

ラオス茶の報告書を読んでいると、AgroforestryまたはAgroforestry Tea Systemsという言葉がよく出てきます。中国語訳は「農林複合系統or 茶複合系統」で日本語では「農林複合茶業システム」。イメージとしては、森に近い自然な環境の中で茶を育てる方法です。

中国雲南省普洱市に位置する景邁山古茶樹林はアグロフォレストリーの代表例です。2023年8月訪問時の撮影。

景邁山(Jingmai Mountain)の村全体(文化的景観)が2023年にUNESCO世界文化遺産に登録された最大の理由は、まさにラオス(シェンクワン省)の農林複合茶業システムに非常に近い「古茶林(ancient tea forests)のアグロフォレストリー(林下茶栽培)」が核心にあるからです。

日本の場合:

静岡の茶草場農法は「アグロフォレストリーの仲間」または「広義の統合的茶業システム」 として位置づけられ、世界農業遺産として高く評価されている点で、農業生態学の実践例として共通しています。茶園自体は比較的単一栽培に近く、樹木の混植 は少ない。代わりに周辺の草地(茶草場) を積極的に管理・利用する「茶草統合システム」。草地という「半自然草原」との連携が特徴です。

 

黒茶(後発酵茶) の魅力や品質を考えるとき、製法(渥堆・微生物発酵) だけでなく、原料となる茶葉の栽培システム をしっかり見る必要があると思います。

 

★景邁山の村内・茶林エリアの道路は、アスファルト舗装を積極的に避け、石畳(弾石路 / こぶし大の小石を敷き詰めた道) が主流です★

前回の続きです。茶譜はこちらです。

いつもは私がお茶を淹れるのですが、今回は人数が十人を超えたので、三つのテーブルに分かれて、それぞれ皆さんに淹れていただきました。茶器も三セット用意しました。

 

六堡茶は、中国式なら蓋碗(ガイワン)や茶壺で淹れるのが一般的ですが、日本の煎茶用急須も使いやすく、おすすめです。4月の茶会では、一煎目は常滑のガイワン、二煎目は常滑の急須を使用しました。三煎目には、水筒で六堡茶の「悶茶方式」にも挑戦してみました。
500ccの水筒に3gの茶葉を入れ、一度洗茶してから熱湯を注ぎ、蓋をして30分ほど置きます。予想以上に美味しく仕上がり、外出の際にも手軽に六堡茶を楽しめる方法です。

 

茶会の最後には、六堡茶に加えて、白蘭花の香りとジャスミンを合わせた広西のジャスミン茶も用意しました。香りが少し独特で、好みが分かれるかもしれません。
これは味見程度に少量だけ購入したものですが、六堡茶だけでなく、広西でより多く生産されているジャスミン茶も取り入れてみたくて試してみました。
現在、主な産地は横県(今の横州市)で、昔は六堡茶も作られていましたが、今ではジャスミン茶の生産量が広西省内で一位となっています。

 

さて肝心な双蒸双圧製法で作られた六堡茶のお味はいかがでしたか。

 

★六堡茶の双蒸双圧とは★

日本のオンラインショップでも、少しずつ見かけるようになりました。紹介文では「伝統製法」と説明されていることが多いようです。では、その「伝統製法」とは具体的に何を指すのでしょうか。また、「双蒸双圧」という言い方がある以上、「単蒸単圧」のような対になる考え方もあるのでしょうか。


茶会でも少し触れてみましたが、製法の話に深入りするとどうしても時間が長くなってしまいます。興味の度合いも人それぞれですので、詳しい内容は茶会の配布資料にまとめ、そちらをご覧いただく形にしました。

大事なポイントとして、双蒸双圧はあくまで荒茶ができた後、つまり六堡茶の再加工(仕上げ)の段階で行われる工程です。この点はとても重要なので、製法に興味のある方にはぜひ意識していただきたいところです。

こちらは、有名な「三鶴木板乾倉」と呼ばれる六堡茶の倉庫です。1953年建築した当時は主に荒茶倉庫として使われており、「毛茶倉」とも呼ばれていた。現在主に仕上げ茶の陳化用と言われているが、見学した時は、荒茶(半製品)も沢山おいてありました。

中に入ると、このように荒茶(半製品)がロットや等級ごとに保管されています(陳化)。


双蒸双圧は、こうした荒茶を工場でもう一度蒸し、籠に入れて仕上げていく再加工の工程です。なぜ「双蒸」と呼ばれるのか、つまり二度蒸す理由については、茶会のときに少し解説しました。

 

黒茶全体に言えることですが、この荒茶倉庫を持つことは非常に重要で、荒茶の段階と再加工の段階という二段階構造こそが、黒茶理解の要点になります。

 

日本の黒茶や後発酵茶にはこの二段階が存在しないため、現場を実際に見ないとイメージしにくく、理解に少し時間がかかる部分でもあります。

また、この二段階(荒茶と再加工)製造特徴は、日本の黒茶の好気発酵と嫌気発酵という二段階発酵とは別の話である点にも注意が必要です。

そしてこの違いは、「後発酵茶とは何か」という定義にも関わってきます。日中で黒茶の捉え方が異なるのも、こうした製造現場への理解の深さによる部分が大きいと言えるでしょう。

 

★「双蒸双圧」という用語は、この10年ほどの間に用いられるようになった比較的新しい表現であり、以前は「初蒸」「複蒸」と呼ばれていました★

 

少し長くなりましたが、茶会のレビューでした。次回は8月までお休みとなります。皆様、どうぞお元気でお過ごしください。

 

先日、とても尊敬していた日本の茶業界の方が亡くなりました。昨日お通夜に参列し、最後のお別れをしてきました。

今年二月の黒茶の講演で大変お世話になり、あのときの温かいお心遣いが今も思い出されます。突然の知らせに、まだどこか信じられない気持ちです。

今日はご冥福を祈りながら、般若心経を書き写しました。母がよく「いちばんの供養は、心を込めてお経をあげること」と言っていたのを思い出します。心からご冥福をお祈りします。

北京の琉璃廠で買ってきた般若心経用の宣紙(本画仙)で写経しました。安徽省涇県の本画仙は、中国でも高級な紙として有名です。安徽省に行く機会があれば、お土産にもおすすめです

舍利子

是諸法空相

不生不滅

不垢不淨

不增不減

...

 

 

2018年、湖北省宜昌にある当陽・玉泉寺を訪ねた初日は、ちょうど穀雨の頃だった。
この寺は、李白の「仙人掌茶」で知られる一方、中国・隋代の高僧で天台宗の開祖とされる智顗ゆかりの寺でもある。

智顗禅師は中国では「智者大師(ちしゃだいし)」の尊称で呼ばれ、私が泊まった宿坊は、裏庭にある智者記念堂のそばの一室だった。

 

当陽玉泉寺の起源は後漢の頃にさかのぼる。
その後、隋の文帝・開皇年間に、現在の地に寺院が整えられ、玉泉寺として弘法の道場となった。

智者記念堂の扁額には「暢佛本懐」と掲げられているが、この言葉は、智顗の生涯を象徴するものとしてよく知られている。

帰国の際には、茶山歩きの合間に寺院巡りも必ず予定に入れていた。ここ2、3年は雲南を中心に巡ることが多かったが、ふと振り返ると、紅河州などには禅寺があまり多くなかったように思う。シーサンパンナ茶州の老曼峨村では上座部仏教が主で、禅寺とはまた異なる趣があり、どこか異国情緒が漂う。

 

茶は仏教と深く結びつきながら今日に至っている。
 

だからこそ、茶の来た道をふと振り返ってみたくなる。そんな穀雨の日。

 

 

玉泉寺の庭
智顗の面影
穀雨かな

 

ちなみに、この寺の裏手には玉泉山の秘蔵ともいえる茶園が広がり、地元の人々が仙人掌茶を作っている。

4月の茶会レビューがすっかり遅くなってしまいました。
今月は1回のみ(4/5)の開催でしたが、多くの方にお越しいただき、本当にありがとうございました。
今回は新しく3名の方が参加され、そのうち2名は千葉県内からでした。
地元の方々にも、黒茶に興味を持っていただけたら嬉しいです。

毎回、茶会のあとに簡単なレビューを書いています。(今回はちょっと遅くなってしまいました)
覚え書きのような内容ではありますが、ご参加いただいた皆さまのメモ代わりにもなればと思い、アップしています。

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2026年4月【茶書を読む茶会】レビュ・≪茶の民族誌≫ 広西省六堡茶部分

208~210頁では、広西省・六堡郷の六堡茶について記述されています。
≪茶の民族誌≫は1998年の出版で、当時の六堡茶の現場を知ることができる貴重な記録だと感じています。

内容の一部には、現在の製造現場と異なる点も見られますが(茶会では口頭で補足しました)、1990年代当時は中国国内でも六堡茶の認知がまだそれほど高くなく、現場での案内や紹介にも一定の限界があったのではないかと推測しています。あらためて読み返してみると、30年前の広西における茶の姿が、じんわりと伝わってきます。

 

私が近年六堡郷を訪ねた時の撮影を見ながら、広西省六堡茶の製法もご紹介をしました。

今回のテーマは六堡茶の双蒸双圧製法でした。その内容は続きへ

六堡茶 | 船橋茶文化資料館 | Dark Tea Archive | Ikeda Jun

 

「7542(勐海茶廠)」をベースにした昌泰流のアレンジ版生餅。購入当時より大幅な値下げもあって、コスパの良い「老茶」として評価されている。今では煙味もかなり抜けて、口当たりはとてもまろやか。ただ、まだ典型的な「老茶」らしい風味には届いていない印象。個人的には★三つくらい。

 

昌泰茶業は、プーアル茶界では「民営メーカー台頭期」を象徴する存在のひとつで、特に1990年代後半〜2000年代初頭の市場を語るうえで欠かせない存在だ。


『茶の民族誌』の引用元である『仏領印度支那の農業経済』(1942年)で言及されている「アホイの農事試験場」について、ついに一次資料を見つけた。三日間かけて探し当てただけに、実にうれしい。

書物において一次資料は極めて重要である。孫引き、時にはひ孫引きの文章に出会うと、思わず腹が立つこともある(笑)

≪茶の民族誌≫p17のアホイの農事試験場について

Station de Na-Hoi(那霍伊农事试验场)は、フランス植民地時代にラオス・トランニン省に設置された農業試験場で、日本の資料では「アホイの農事試験場」と表記される施設である。フランス語の公式名称は Station Agricole du Tranninh(トランニン省農業試験場)であり、「Na-Hoi」は現地での通称・地名に基づく呼び方である。1920年、所長 R. Miéville が執筆した論文「Note sur le théier sauvage du Phou-Sang, région du Tranninh (Haut-Laos)」で、「Station de Na-Hoi」という名称が明確に登場する。これが一次資料として最も重要である。Miévilleは1917〜1922年頃に所長として在任し、プー・サン山の野生茶樹を管理した。試験場での茶樹植栽は1905年頃に始まっており、Miéville時代に280本規模の管理や種子生産用のプランテーション構築が進められ、その詳細が1920年のフランス雑誌に掲載された。★試験場(ナホイ)の役割:トランニン省で初めて体系的な茶樹の試植が行われた実験的な場だった。

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