公共放送 安心安全 品行方正

 

NHKと聞くと、
「教育的」「落ち着いてる」「実家で流れてるやつ」
そんなイメージが自然と浮かびます。

 

朝は穏やかなニュース、
昼はのどかな紀行番組、
夜は大河やドキュメンタリーで知的に一日を締める。

CMがなくて静か。
 

変な煽りもなくて安心。
“ちゃんとしてる大人のテレビ”という印象。

子どもの頃は
「つまらないけど怒られないチャンネル」
大人になると
「まあ無難だからNHKでいいか」

そう思っていた時期が、
確かにありました。

 

ところが現実は、
見ていなくても生活に入り込んでくる存在。

引っ越した翌週に届く封筒。
 

テレビをつけていなくても鳴るチャイム。
 

「NHKです」の一言で、
なぜか一瞬、身構える自分。

 

番組を楽しむ前に、
契約・支払い・制度説明が先に立ちはだかる。

 

“公共”という安心感と、
“義務”という圧の同時攻撃。

好き嫌い以前に、
「逃げられない」という感覚が先に来る。

穏やかなナレーションの裏で、
生活への影響力はかなり強めです。

 

 

✅ よくある「NHKあるある」:
・実家では常にNHKがついている
・天気予報だけはなぜか一番信用している
・紅白は「見ない」と言いながら結局後半だけ見る
・災害時、最終的にNHKに戻ってくる
・ナレーションの声がやたら耳に残る
・教育テレビに子どもより大人がハマる
・朝ドラの話題が職場の共通語になる
・ドキュメンタリーの完成度が異常に高い

 

 

❌ 実際は…:
・見ていなくても料金は発生する
・テレビを持っていない説明が一番難しい
・「公共放送」の定義が人によって違う
・番組の質と制度への納得感は別問題
・契約周りで感情が一度リセットされる
・好きでも嫌いでも“無関係”ではいられない
・説明を聞くほどモヤっとする人も増える
・海外在住でも話題に出る存在感

 

 

ある日の小話。

久しぶりにNHKのドキュメンタリーを見て、
「やっぱり作り込み、すごいな…」と感心。

 

その翌日、
ポストに例の封筒。

 

昨日の感動が、
一気に事務手続きの現実に変換されました。

 

感情の振れ幅が大きすぎて、
自分の中でNHKの評価軸が迷子になります。

NHKは「番組」ではなく「インフラ」に近い:
好きだから見る、ではなく
ある前提で生活が組み立てられている存在。

水道や電気のように、
使い方より“関わり方”が問われる。

 

だからこそ、
番組の質が高いほど
制度への違和感が目立つという逆転現象も起きる。

 

「見たい・見たくない」ではなく、
「どう付き合うか」を各家庭が考え続ける放送局。

あなたの「NHKあるある」はどれでしたか。
 

思わずうなずいた話、
ちょっとモヤっとした瞬間でも構いません。