先日
20年以上、私の手となり足となり
支え続けてくれた愛車を手放しました
私が息子と二人で生きていくと決めて
どんなときもいっしょだったこの子🚗
すっかり塗装も剥げちゃって
かわいそうな姿に
ごめんね
綺麗に直してあげられなくて・・・
たくさん思い出があって
思い出があり過ぎて
語り切れないけど
両親の通院はもちろん
10年ほど前に
両親を乗せて長野市のホクト文化ホールへ
辻井伸行さんのピアノリサイタル🎹へ行きました
父と同じ、全盲の辻井伸行さん
奏でる音は辻井さんのピアノを愛する気持ちが
たくさん溢れていて
両親はとてもとても感動していました
車中でも
辻井さんのCDをかけて聴きながら
帰路につきました
私のアート活動を支えてくれたのも
この子🚗がいつも一緒に居てくれたおかげでした
大切な大切な私の相棒でした
レッカー車に載せて貰って
旅立っていく後ろ姿を
見えなくなるまで見守りました
ありがとう✨🚗
私を助けてくれて、ともにいてくれて
本当にありがとう
バイバイ
夕べ、入院中の父の病状について
内視鏡検査をして下さった外科の医師より
お話がありました
内視鏡検査の画像を見せて頂き
思っていた以上に
癌さまは大きく、出血の様子も確認しました
そしてCT検査の画像も拝見させて頂けて
肝臓・腎臓への転移もありました・・・
出血を止める処置は難しいこと
もちろん、外科的手術も・・・
弟と相談して・・・
できるだけ父が辛くない方向で
見守っていきたいね
と話しました
母にどう話そうか~・・・と
そのまんま話しても
たぶん混乱するだけかもしれないので
「しばらく入院することになりそうだよ」
と弟から母に話してもらうことにしました
実は、27年前・・・
祖母がやはり同じ胃がんで亡くなりました
病状が分かった時には
すでに末期でした
やはり84歳になってからのこと・・・
進行性のタイプでスキルス胃がんでした
約半年近く
通院・点滴治療しながら在宅で過ごし
毎日の点滴に、私が付き添いました
亡くなる2週間ほど前に
今 父も入院している同じ病院へ入院して
毎日毎晩、家族が交代で付き添い
私が毎日、祖母の身体を拭いたり
ほんの一口くらいしか食べられないけど
祖母が食べたい!というものを食べさせたり
美味しいと感じるものを準備して
祖母がちょっとでも幸せを感じることをしながら
そばで見守りました
祖母は和裁の先生であり
地元の呉服店の専属の仕立屋さんでした
なので、意識が遠くなっても
ずっと着物を両手で縫い続けていました
祖母の経っての願いで
私が最後まで看取ると約束していましたから
大好きな祖母とのお別れの時間は
私にとって大切な時間になりました✨
その祖母が、亡くなる直前まで
全盲の父のことを案じていたので・・・
私自身
祖母の時ほどはいろいろできないけれど
父のことも
できるだけそばにいて、過ごしたい
と思います
「魂を見送る」
私のお役目は
きっとそういうことなんだと感じています