米国で眼内レンズ(当時は人口水晶体と言ってました)
が話題になり始めた頃、いち早く日本でも
とり入れる動きが始まったように記憶しています。
福岡の林文彦先生(故人)、名古屋の藤田保健衛生大学
教授馬嶋慶直先生(故人)等、10名前後の人達が全国から
定期的に集まって勉強をしていたようです。
時代の流れは非常に早く、あっと言う間に後房レンズ
の時代に入りましたが、一足おくれて
東北大学で虹彩支持型眼内レンズを入れたレポートを
発表しました。
成績はあまりよいものではなく、当時の水野勝義
東北大教授(故人)は「眼内レンズを入れる眼科医は海賊と同じ
だ」と広言したのでした。
先駆者であった先生方は「海賊眼科医」の蔑称を
喜んで受け入れ「海賊眼科医の会」などと
言っていましたが、私の記憶が正しければ後に眼内レンズ学会へと発展
することになりました。