怒りを手放すとは「許すこと」と思ってきました。

 

 

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食品添加物止めたらアトピー改善しましたWebライターのゆうこですおすましペガサス

私は成人してからのアトピーに悩んでいましたが、化学調味料人工甘味料などの食品添加物を摂らない食生活に切り替えたところわずか1か月でアトピーが改善され肌がツルツルに戻り幼稚園から患っていた花粉症の悩みからも解放されました。

こちらのアメブロは私の実体験を綴りましたブログです。

Facebookコミュニティ「食品添加物止めたらアトピー改善したよ」を主宰しています。興味のある方ご参加ください。

 

 

腹が立っている時や怒っている時は気分が悪いですよね。

だから早く手放してスッキリしたいと誰もが思うことでしょう。

 

でもどんな怒りもそれは「悲しみ」の二次感情であり

悲しみの惨めさを感じたくない為の代理感情であると私は知りました。

怒りは自分の感情とその事実を受け入れたくない為の逃避感情でもあるのかもしれないと思っています。

 

ならば

悲しみを受け止め癒したらそれで怒りはなくなるのか?と思いましたが

それはそうかもしれないけれど

それだけじゃ根本的な解決にはならないということにも気づきました。

 

自分の「悲しい」「惨めだなぁ」をちゃんと認めて

自分で自分に寄り添ってあげた上で

 

他者の下に入らないで、どんな人とも対等に接して

自分自身を生きることで初めて自分が戻ってくる

その自分で堂々と生きる

 

 

あの人がこうしてくれないから嫌だ?

誰かがこうしてくれさえすれば上手くいくのに?

それって本当???

 

誰かや何かのせいにしてるのは自分

あの人が 世間が 国が悪い と感じてしまうのは

自分を偽って自己主張してこなかった結果の八つ当たりであり被害妄想

自分以外の人や何かを加害者にしているのは被害者になりたい自分がいるから

 

自己主張しなければ恥をかかなくてすむから

自分の意見を言わなければ嫌われずにすむから

失敗した時誰からも責められないから

責任を取りたくないから黙って相手の行動に合わせる

 

ほんとうはそれをしたくないのに保身のために「まぁいいか」と自分を誤魔化す生き方をずっとしてきたから

嫌なことはつい耐えてしまえる我慢してしまえる偽りの自分が誕生した

我慢は日本人の美徳とされてきたから

我慢が自分の人生のルーティンになっている

 

だけど

「人の顔色を見て生きること」を選んだのは紛れもなく自分自身

それが正しい事と思って選択してきたのは自分自身

 

そしてそれは一体誰の顔色を気にしていたのかな

自分が望んでいたのは誰の顔色が良いことだったのかな

それを求め続けてきたのに報われなかった悲しみを感じたくなくて

目の前の事象を怒りにすり替えているんじゃないかな・・・

 

どんな自分の感情も自分で寄り添うことが自分の感情に責任を持つという事なのならば

他者の顔色や機嫌を伺って空気を読むことは自分からかけ離れた生き方

 

そんなことはもうやめよう

 

 

腹立つとき

イラッとするとき

 

自分はこの自分自身で勝負できているのか問うてみよう

 

人から愛されたければ

ありのままの自分を嫌う人からはちゃんと嫌われよう

 

怖いけどね(笑)

 

 

うれしいたのしいおいしい

いとおしい かわいい

やさしい ここちよい

しあわせ

ありがとう

 

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