人間関係を悪化させる原因は様々ありますが

その一つに「もっとこうして欲しい」があるのではないかと思っています。

そしてそれを「言えずに蓋をしていること」ではないでしょうか。

 

皆さん今日も訪問ありがとうございます。

食品添加物止めたらアトピー改善しましたWebライターのゆうこです。

 

さて本日はタイトルにもありますが

人間関係がうまくいかない原因についてです。

私の場合なので万人に当てはまるものではりませんのであくまで参考にして頂けたらと思います。

 

 

相手から自分に与えられたものをいつでも有難いと思って「100点満点」として受け取っていたら、相手に不満って生まれないと思うんですよね。

相手のしてくれたこと、相手の思いを(たとえ自分が望んでいたものと違っていても)相手を尊重して、丸ごとOKしていたら、感謝の思いしか出てこないはずなんですよね。

でも、なかなか、それができない

相手の愛に満足しきれないのはなぜか???

親の愛、友人の愛、パートナーの愛・・・

それぞれの形で精いっぱい愛を与えてくれている

それはわかっている

自分は愛されているってわかっている・・・

だけど、心で満足していないのはなぜか?

 

それは

自分の「望み通りの」愛ではないから。

「ほんとうはもっとこうしてほしい、こうであってほしい」と思っているのに、言えずに勝手に我慢してしまうから。

 

我慢をし本音を飲み込んでてしまったがために「なんで〇〇してくれないの?」とまでなってしまう。

相手は相手なりの愛で接してくれてるんだから不満を持っちゃダメとか、別のことでは満足しているからプラマイゼロにしたり、謙虚にならなくちゃと不満を持っている自分にバツをして感情に蓋をする・・・

この「自分の正直な想いに蓋をする」のが逆効果ではないかと思うんです。

 

自分が感じる感情に「善悪」のジャッジはいらない

自分の湧き出る気持ちに「間違い」ってないと思っています。

どんなことでも感じていい。

それがどんなに悪どくて意地悪で幼稚で非情で未熟であっても。

だって自分は悪どくて意地悪で幼稚で非情で未熟な人間なんですよね。

認めたくないだけで。認めてこなかっただけで。

 

そんな自分は自分じゃない!もっといい人にならなくちゃ!って背伸びをしてきました。

努力したら「自分の理想の自分」になれるってずっと思ってきたんですよね。

だって勉強でもスポーツでも仕事でも練習して努力したら上達するじゃないですか。

だけど、人間、背伸びをしたからって身長は伸びませんよね(笑)

背伸びをし続けても本来のナリ(身の丈)は変わらないんですよね。

そのことに長年気が付かなかったんです。

 

 

じゃあ。。。

正直になって「もっともっと」と「クレクレ星人」で居続けたらいいのかって言ったらそうではなくてですね。

 

なんで自分は「もっともっと」と欲しがるのかって話です。

クレクレ星人になった原因ですよね。それを掘り下げていくのが解決の近道だと思います。

 

人に求めてしまうのは「自分が自分に与えてないから」ではないかと思います。

 

自分が自分に愛を与えてないから他者から愛してほしくなる。

他者からの愛で自分の寂しさを埋めようとする。

自分の無価値感、自己否定、自己卑下

それらを他者からの評価で埋めて不安を解消しているのだと。

 

なので

自分が自分に愛を与えて優しくしていたら「もっともっと」はなくなってくるように思います。

自分が自分に何を与えてほしいかは人それぞれだと思うので、それは自分に問うていくしかないと思うのですが

何かを与えるだけではなく、現状で嫌だと思うことから自分を遠ざけてあげる、断る勇気を出すことも優しさであると思います。

 

 

目の前の人が自分に厳しくてそれを嫌だと感じるのならば

普段から自分は自分にダメ出ししていないか?ということを問うていけば見えてくるような気がします。

もし普段から心の声を聴いて自分に優しくしている人ならば、目の前の人に「そんな風に言われたら悲しく感じるから言わないでもらえるかな?」と勇気を出して伝えることかもしれません。私はそういうことで傷つく小さい人間なんです、小さい人間なんで優しくしてもらえると嬉しいですと相手に伝える勇気を持つことかもしれません。

 

私は「もっと私に関心を持って!興味を持って!無関心は悲しいよ!」とか「尊重してほしい、理解してほしい」って感じることがあります。

それは私が自分の感情を無視して他者の目を気にして動いているっていうことでもあります。もちろん無自覚です。

思考過多になってハートの声を聴いてあげていないというところでしょうか。

他者からわかってもらおうとするのではなく、自分が自分の本音を理解して寄り添ってあげるということが必要なんですよね。そしてそれをした上でまだ穏やかな気持ちになれないのであれば勇気を出して「こういう時こうしてもらえると助かる」と伝えることでしょうか。(怒らないで言うことが大切ショボーン私は怒りのパワーで叫んでしまうのでもっともっと自己対話が必要ですアセアセ

 

思考過多になっていると心は抑圧され萎縮していくから「ハートの声」を聴くのは難しくなります。

しかし逆に言うとハートの声を聴いて、その通り動くのが怖いから、あえて思考武装をして自分と闘って、心を見えなくしているのかもしれません。

何かの決断に悩み答えが出せないでいる時、仕事をやめるかやめないかで悩む時、こんな感じではないでしょうか。

 

相手に求めてしまう自分を否定せずに受け入れたうえで

相手にしてもらいたいことは

実は自分が自分にしてもらいたいことと知る

それを自分に「してあげる」「断ってあげる」

自分が自分の親(もしくは伴侶、恋人、友人など)になったつもりで聞く耳を持ってあげ全てを肯定してあげる

自分が自分の理想の母になって自分を愛していくと言えば想像しやすいでしょうか

現実のお母さんに理想の母を求めるのではなくてね。

 

問題はすぐに解決しないかもしれないし、自己対話がスムーズになるまで時間がかかりそうですが

自分が自分によって満たされたら、必要以上に他者に求めたり食べ物で穴埋めしようとは思わなくなってきます。

 

ありのままの自分を認めたら

ありのままの相手を認められる

「もっともっと」が影をひそめる

 

そのうえで「自分はどうしていきたいか」を考えたらいいのではないのではないかなって思います。

 

 

 

 

めちゃデカいナン(笑)

 

うれしいたのしいおいしい

かわいい ここちよい

しあわせ

ありがとう