ゆる~いひと(ゆるびと)になりたい
私は食べ物で度々アナフィラキシーに陥る人だし
化学物質が体に及ぼす影響をお伝えしようとする本人が食に関してユルくては困りますが(笑)
なぜか私は昔から周りの人から温厚でほわ~んとした印象を持たれるのですが(笑)
確かにそういう面もあると思います♪
けれど「白か黒か」的で心配性でせっかちであるから常に自分で自分に声をかけ続けて行かないと(笑)ポジティブには向かわないタイプで。
それは個性で、負があるからこその長所だし、無理に矯正しなくてよいのかもしれませんが
それでも、囚われない心で笑顔のあるゆる~いひとになれたらって思います。
「どんなことがあってもそれはそれでアリ」って思えたらしあわせ。
「こうでなければならない」という固定概念に囚われない心は自由に泳ぐことができる。
柔らかい心が自分と他者を癒しに導く。
そして何を選ぶのも自分次第だから、人は自分の信じたことを選択していくものだから、誰がどんな事を選んでも、それをそのまま受け止めていけたら素敵だなあと思います。
自分のやり方がすべてではないし、いろんなプロセスがあると思う。
人の数だけ方法はある。
真実以外は噓で、「噓」は「嘘」でしかないし、真実だけが「ほんとうのこと」だと感じていますが、それでも「人間にとっての真実」は一つではないかもしれないなぁとも思います。
たくさんの道があるから。
たくさんの答えがあるから。
たくさんの時間があるから。
それを決められるのは自分自身でしかないから。
それぞれがそれぞれを互いに信じて選んだ事を尊重する。それが「真実」ではないかなって。
その人が信じて選んだ道ならば共に歩けなくても、遠くの場所からでも応援していけたら…と思います。
どんな在り方もあり。
どんな考え方もあり。
自分は敢えてそれを選択しないけれど、どんなことも存在してその中に自分も生かされている。
その中に自分が丸ごと生かされているのにジャッジするのは本末転倒ではないかなと。
私の失敗を笑って許してくれた存在がいっぱいいる。
気づかないところで沢山の人を傷つけたかもしれない。それなのに気づかないうちに許してくれた人もいっぱいいたと思う。
許してくれない人も、怖い人もいたけど(笑)
誰一人として綺麗に生きれる人などいない。
みんな周りにたくさん迷惑をかけて、かけあって生きている。
自分だけが悪いわけでも相手だけが悪いわけでもない。
お互い様、お陰様ではないだろうか。
お互いを教えあう為に出会う必要な存在ならば、許しあうことが大切。
なかなか許せないけど(笑)
自分のことを棚に上げてしまうね(笑)
でも許せないときは許せなくても構わない、それもアリ。
批難したくなることも批難する人もいて、それでいい。
「在る」のはその人の心の中の事実だけだから。
そういう時は原因の根っこを掘り下げて掘り当たったら、正直に言葉にして伝えたらいいと思う。
人は言葉を発することのできる楽器だとたとえられますが、楽器は丁寧に奏でることで綺麗な音が出る。
音を出さなければ楽器の役目を全うできない。
どんな上等な素晴らしい楽器でも音を出してこそ、初めて光る。
光ることが出来たら、つい善悪でジャッジしてしまういつもの自分から解放される気がします。
恥ずかしいと感じて隠していた自分の未熟さを出すことで自由になれるから。
みんなが自分を愛することを学んでいっている。
私もあなたも。
笑いながら怒りながら傷つきながら喜びに繋がりながら。
今日もありがとう。
昨日もありがとう。
明日もありがとう。
うれしいたのしいおいしいやさしいここちよいしあわせ